に野猪が飛び出すか知らん。(もっとも、『十方庵遊歴雑記』に向嶋の弘福寺が境内寂寞としてただ野猿の声を聞くという記事があるが、奥山の猿芝居の猿の声ではなさそうだ。)また、この鳥越から海が見えるという記事がある。湯嶋の高台からは海が見えるから、人家まばらに草茫々と目に遮《さえぎ》るものもないその頃の鳥越からは海が見えたかも知れぬが、ちょっと異《い》な感じがする。
 芳流閣の屋根から信乃と現八とが組打して小舟の中に転がり落ち、はずみに舫綱《もやいづな》が切れて行徳《ぎょうとく》へ流れるというについて、滸我《こが》即ち古賀からは行徳へ流れて来ないという説がある。利根の一本筋だから引汐なら行徳へ流れないとも限らないが、古賀から行徳まではかなりな距離があって水路が彎曲している。その上に中途の関宿《せきやど》には関所が設けられて船舶の出入に厳重であったから、大抵な流れ舟はここで抑留される。さもなくとも、川は曲りくねって蘆荻《ろてき》が密生しているから小さな舟は途中で引っ掛ってしまう。到底無事に行徳まで流れて来そうもない。
 夷※[#「さんずい+(旡+旡)/鬲」、第3水準1−87−31]《いしみ》の館
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