の一例である。

       四 『八犬伝』の歴史地理

 馬琴は博覧強記を称されもすれば自ら任じもした。殊に歴史地理の考証については該博精透なる尋究を以て聞えていた。正当なる歴史を標榜する史籍さえ往々|不穿鑿《ふせんさく》なる史実を伝えて毫も怪しまない時代であるから、ましてや稗官《はいかん》野乗《やじょう》がいい加減な出鱈目《でたらめ》を列べるのも少しも不思議はない。馬琴自身が決して歴史の参考書として小説を作ったのでないのは明らかで、多少の歴史上の錯誤があったからとて何ら文芸上の価値を累《るい》するに足らないのである。馬琴の作が考証|精覈《せいかく》で歴史上または地理上の調査が行届いてるなぞと感服するのは贔屓《ひいき》の引倒しで、馬琴に取ってはこの上もない難有《ありがた》迷惑であろう。ただ馬琴は平素の博覧癖から何事も精《くわ》しく調査したらしく思われる処に損もあり得もある。『房総志料』を唯一の手品の種子《たね》箱とする『八犬伝』の歴史地理の穿鑿の如きはそもそも言うものの誤りである。余り偏痴気論を振り廻したくないが、世間には存外な贔屓の引き倒しもあるから、ただ一個条憎まれ口を叩いてお
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