今日の若い新らしい作家の中には二十五六年前には未だ生れない人もある。其大部分は幼稚園若くは尋常一二年の童児であったろう。此の時代、文人の収入を得る道が乏しく、文人が職業として一本立ちする能わず、如何に世間から軽侮せられ、歯《よわ》いされなかったかは今の若い作家たちには十分レハイズする事が出来ぬであろう。今日でも文学は他の職業と比べて余り喜ばれないのは事実である。が、然し乍ら今日では不利益なる職業と見らるゝだけであるが、二十五六年前には無頼者の仕事と目されていた。最も善意に解釈して呉れる人さえが打つ飲む買うの三道楽と同列に見て、我々文学に親む青年は、『文学も好いが先ず一本立ちに飯が喰えるようになってからの道楽だ』と意見されたものだ。夫が今日では大学でも純粋文学を教授し、文部省には文芸審査委員が出来て一年中の傑作が国家の名を以て選奨せらるゝようになった。文部省の文芸審査に就て兎角の議論をする人があるが政府は万能で無いから政府の行う処必ずしも正鵠では無い。且文芸上の作品の価値は区々の秤尺に由て討議し、又選票の多寡に由て決すべきもので無いから、文芸審査の結果が意料外なるべきは初めから予察せられる。之を重視するのが誤まっておるのだが、二十五六年前には全然社会から無視せられていた文芸の存在を政府が認めて文芸審査に着手したのは左も右くも時代の大進歩である。
 文学も亦一つの職業である。世間には往々職業というと賤視して顰蹙するものもあるが、職業は神聖である。賤視すべきものでは無い。斯ういう職業を賤視する人たちの祖先たる武士というものも亦一つの職業であって封建の家禄世襲制度の恩沢を蒙むって此の武士という職業が維持せられたればこそ日本の大道楽なるかの如く一部の人たちに尊奉せらるゝ武士道が大成したので、若し武士が家禄を得る道なく生活の安全を保証されなかったなら武士道如きは既くに亡びて了ったであろう。文学を職業たらしむるだけの報償を文人に与えずして三文文学だのチープ・リテレチュアだのと冷罵するのみを能事としていて如何して大文学の発現が望まれよう。文学として立派に職業たらしむるだけの報酬を文人に与え衣食に安心して其道に専らなるを得せしめ、文人をして社会の継子たるヒガミ根性を抱かしめず、堂々として其思想を忌憚なく発露するを得せしめて後初めて文学の発達を計る事が出来る。文人が社会を茶にしたり
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