社内に於ける文人の位置すら極めて軽いもので、紅葉の如き既に相当の名を成してから読売新聞社に入社したのであるが、猶お決して重く待遇されたのでは無かった。シカモ文人として生活するには薄い待遇を忍んで新聞記者となるより外に道が無かった。今日の如く雑誌の寄書家となって原稿料にて生活する事は全く不可能であった。偶々二三の人が著述に成功して相当の産を作った例外の例があっても、斯ういう文壇の当り屋でも今日の如く零細なる断片的文章を以てパンに換える事は決して出来なかった。
夫故、当時に在っては文人自身も文学を以て生活出来ると思わなかった。文人が公民権が無くとも、代議士は愚か区会議員の選挙権が無くとも、社会的には公人と看做されないで親族の寄合いに一人前の待遇を受けなくとも文人自身からして不思議と思わなかった。寧ろ文人としては社会から無能者扱いを受けるのを当然の事として、残念とも思わず、憤慨するものも無かった。
今より十七八年前、誰やらが『我は小説家たるを栄とす』と放言した時、頻りに其の意気の壮んなるに感嘆されたが、此の放言が壮語として聞かれ、異様に響きて感嘆さるゝ間は小説家の生活は憐むべきものであろう。が、当時は此の壮語を吐いて憤悶を洩らすものは一人も無かったのである。
博文館の雑誌経営が成功して、雑誌も亦ビジネスとして立派に存立し得る事が証拠立てられてから、有らゆる出版業者は皆奮って雑誌を発行した。文人が活動し得る舞台が著るしく多くなった。文人は最早非常なる精力を捧ぐる著述に頼らなくても習作的原稿、断片的文章に由て生活し得るようになった。文人は最早新聞社の薄い待遇にヒシ/\と縛られずとも自由に楽んでパンを得る事が出来るようになった。
斯うなると文人は袋物屋さんや下駄屋さんや差配人さんを理想とせずとも済む。文人は文人として相当に生活できる。仮令猶お立派に門戸を張る事が出来なくとも、他の腰弁生活を羨むほどの事は無い。公民権もある、選挙権もある。市の廓清も議院の改造も出来る。浮世を茶にせずとも自分の気に入るように革新出来ぬ事は無い。文人の生活は昔とは大に違っている。今日では何も昔のように社会の落伍者、敗北者、日蔭者と肩身を狭く謙《へ》り下らずとも、公々然として濶歩し得る。今日の文人は最早社会の寄生虫では無い、食客では無い、幇間では無い。文人は文人として堂々社会に対する事が出来る。
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