を少《ちつ》とでも余計|握《つか》まうといふ外には何の考も無い。元来《いつたい》実業界の先輩と威張つてる奴らは昔からの素町人《すちやうにん》か、成上りの大山師か、濡手で粟の御用商人か、役人の古手の天下つたのか、斯《か》ういふ連中のお揃ひだから真の文明流のビジ子スを知つてる者は無い。投機や株の売買も商売の一つだから行《や》つても宜《い》いが、最《も》う些《ちつ》と道徳を重んじて呉れないと困る、昔から云つてる事《こ》つてすが日本人は公共思想が乏しくて商売をしても他《ひと》を倒すことばかり考へて商売其物を発達せしめやうといふ考へは無い。同商売の者は成るべくトラスト流に合同して大資本を作つて大きな商売をして貰ひたいのだが、日本人同志の間《なか》では小《けち》な利慾心が邪魔をするから迚《とて》も相談が纏まらない。現に僕が関係してゐる会社では三四の同業者があるから合同して大きな工場を建てたら如何《どう》だといふ意見を持出した処が、此方《こち》の会社が十分優勢を占めてるのに以ての外だと排斥されて了つた。亜米利加《アメリカ》では大資本家が小資本家を吸収して利益を壟断《ろうだん》すると云つてトラストの幣
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