《へい》を頻りに論じてるが日本では先づ当分トラストが行はれるほど進歩しない。一緒に大きく儲けやうとはしないで他人《ひと》に儲けられまい儲けられまいとケチ/\[#「ケチ/\」に傍点]してゐる。裏店《うらだな》根性だ……
「併し頭の禿げた連中は仕方が無いとして若い者は奈何《どう》かと云ふと、矢張《やつぱり》駄目だ。血気盛んな奴が懐中手《ふところで》をして濡手で粟の工風《くふう》ばかりする老人連の真似をしたがる。実業家といふと聞えが好いが近頃の奴は羽織ゴロの方に近い。立派な新教育を受けた若い連中《てあひ》までが斯様《こん》な怪しからない所為《まね》をしたがるから困る。例へば商業学校、あれが少しも役に立ちませんナ。元来《いつたい》ビジ子スは実地に経験を積んで然る後覚えられるもんで、学校の教場で教師の講義《レクチユア》を聞いたつて解るもんぢやアない。銀行の取引実務とか手形交換の実習とか云ふものなら昔《むか》しの商法講習所位のものを置けば沢山だ。経済学や法律学なら大学で、教へてゐる、私立の専門学校もある。実際また商業学校で教へる位の片端《かたはし》を噛《かじ》つたつて何の役に立つもんですか、無駄な事《こ》つた。此《この》金の足りない中で、殊に経費少ない文部省が這般《こん》な無用の学校に銭を棄てるのは馬鹿げてる。第一|貴処《あなた》、困る事には此役に立たない商業学校の卒業生が学校を出れば一廉《ひとかど》な商業家になつた気でゐる、高等商業学校を初めとして全国に商業学校が各府県に一つ宛《づゝ》ある、毎年卒業生が千人も出るでせう。百人に一人位|真摯《まじめ》なものもあるかも知れないが、大抵は卒業すると直ぐ気障《きざ》な扮装《なり》をして新聞受売の経済論や株屋の口吻《くちまね》をしたがる。先輩の対手《あひて》にならないのは仕方が無いが後継者《あとつぎ》の若い者までが株屋や御用商人の真似をしたがるから困る。其《その》証拠には貴下《あなた》、斯ういふ学校出身者で細くとも自分で事業《しごと》を初めた人がありますか。多い中には有るかも知れないが、先づ学校を出ると会社とか銀行とかへ入つて端多《はした》月給でも貰つて気楽に飯の喰へる工風をする。校長初め教師までが其方を奨励する。実業家達は小才の利く調法な男を廉《やす》く傭使《つか》へるのだから徳用向きの仕入物を買倒《かひたふ》す気で居る。然るに高い学
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