校の先生が講釈をしたりするは皆同一任務の機械的反覆である。文人も亦生活の鞭に引叩かれる為め千篇一律の著述をする事はするが、本来手の仕事でも足の仕事でも眼の仕事でも口の仕事でもなく、一つ/\が尽く頭脳の中枢から産出す仕事であるから、他の職業のように全く同一のものを作り出す事は決して無い。
▲文人の仕事を機械的にしたのは印刷術の進歩で、文人の頭脳の産物を機械がドシ/\印刷して了うから、機械を間断なく運転させる為めには、印刷材料たる草藁をも亦間断なく準備しなければならない。そこで文人の頭脳も亦勢い機械的に発動すべく余儀なくされるので、新聞や雑誌が盛んになればなるほど文人の頭脳も亦定時的に働き出さねばならなくなる。文人の本来は感興を重んじて機械的に頭脳を働かすべき筈で無いが、幸いに印刷術の進歩が文人の頭脳の組織をも一変して、名什傑作が轆轤細工のようにドシ/\出来たなら、今までのように実際家に軽蔑されないほどの収入を得て、貧乏な日本の国庫を富ますに足るほどの文学税を納める事が出来るかも知れない。人情本を焼き直した芸者文学やジゴマの本を作るものは即ち文学製造業の稽古を始めたので、追々には書画屋の
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