神を集中する事は迚も出来ない。且大抵は釣革に揺下《ぶらさが》るのだから、まごまごしていれば足を踏まれる、車が停ったり動いたりする度毎にヨロ/\する、其間には車掌が『御懐中物の御用心!』と号令を掛ける。足を踏まれまいと用心し、ヨロ/\しまいと用心し、懐中物を掠られまいと用心し、其上に目的の停留場を乗越すまいと用心しなけりゃならない。乗るから降りるまで用心のしつゞけで労れて了う。
▲自働車の上なら悠然と沈着て読書は本より禅の工風でも岡田式の精神修養でも何でも出来そうだが、電車は人間を怯懦にし、煩瑣にし、野卑にし、放肆《ほうし》にする。我々は電車に乗る度毎《たんび》に礼譲の治外法権を目撃して人間の美性が電車に傷られつゝあるを感じる。
▲門外《はた》から見ると文人の生活は極めて呑気に思われる。ノホホンだの後生楽《ごしょうらく》だの仙人だの若隠居だのという冷罵を我々は何百遍何千遍も浴びせられた。が、我々は不自由な郊外生活を喜んで、毎日往復の時間を無駄にしても、釣革に垂下《ぶらさが》って満員の中に押し潰されそうになっても猶お交通の便利を心から難有がるほど呑気にはなれない。我々は腰弁当を揺下げて
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