泥塗れのビショ濡れになってる夜具包や、古行李や古|葛籠《つづら》、焼焦だらけの畳の狼籍[#ママ]しているを横に見て、屋根も簷《のき》も焼け落ちて真黒に焼けた柱ばかりが立ってる洋物小売部の店[#以下の括弧内割注](当時の丸善の仮営業所は鍵の手になっていて、表通りと横町とに二個処の出入口があった。横町の店が洋物小売部であった。)の前を通って、無事に助かった海苔屋の角を廻って仮営業所の前へ出ると見物人は愈が上に集っていた。鳶人足がカン/\板囲を打付けている最中であった。丸善の店も隣りの洋服屋も表掛りが僅かに残ったゞけで、内部は煙が朦々と立罩めた中に焼落ちた材木が重なっていた。丸善は焼けて了った。夫までは半信半疑であったが、現在眼の前に昨日まで活動していた我が丸善が尽く灰となって了った無残な光景を見ると、今更のように何とも云い知れない一種の無常を感じた。
猶だ工事中の新築の角を折れて、仮に新築の一部に設けた受附へ行くと、狭い入口が見舞人で一杯になっていた。受附の盆の上には名刺が堆かく山をなしていた。誰を見ても気が立った顔をしている店員と眼や頤で会釈しつゝ奥へ行くと、思い/\に火鉢を央に陣取ってる群が其処にも此処にも団欒していた。みんなソワ/\して、沈着《おちつ》いてる顔は一人も無かった。且|各自《めいめい》が囲んでる火鉢は何処からか借りて来たと見えて、どれも皆看馴れないものばかりだ。小汚ない古椅子が五六脚あるぎり、思い/\に麦酒の箱や普請小屋の踏台に腰を掛け、中には始終腰を浮かして立ったり座ったりしていた。誰も皆気が立っていた。誰も皆ワサ/\していた。誰も皆ガチ/\していた。誰も皆元気付いてるようで何処か陰気な淋しい顔をしていた。
大抵は目眩るしいようにセカ/\往ったり来たりして、人と人とが衝突りそうだ。用あり気に俄に駈出したかと思うと、二タ足三足で復た戸《とま》ってボンヤリしているものもあった。元気に噪いで喋べり捲ってるかと思うと、笑声の下から歎息を吐《つ》くものもあった。空気が動揺していた。塵埃が舞っていた。焦臭い臭いが充満していた。
無難に持出した帳場デスクの前に重役連が集まっていた。何れも外套帽子のまゝの下駄がけであった。重役の一人の繃帯が誰の目にも着くので直ぐ訊かれるが、火事場の怪我で無いと聞くと誰も皆安心した顔をして、何の病気だと折返して訊くものも無かっ
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