ました。』
シーボルトの名は日本の文明の起源に興味を持つものは皆知ってる筈である。葡萄牙《ポルトガル》のピントー以来日本に渡来した外人は数限りも無いが、真に学者として恥かしからぬ造詣を蓄えて、学術研究の真摯《まじめ》な目的を抱いて渡来し、大にしては世界の学界に貢献し、小にしては日本の文明にも亦寄与したものはシーボルト一人であった。シーボルトが若し渡来しなかったら、日本の蘭学や本草学はアレ程に発達しなかったであろうし。又日本の動植物や特殊の文明も全然欧洲人に理解されていなかったであろう。其のシーボルトの『日本動植物譜』は特に我が文明の為に紀念すべき書たるに留まらず、古今の博物書中の大著述の一つで、殊に日本に関する博物書としては今猶お権威を持ってる名著である。且初版以後一度も覆刻されなかった故、今日では貴重な稀覯書として珍重されて、倫敦時価一千円以上である。且又其価は年々騰貴するから、幾年後には何千円を値いするようになるかも計られない。日本では、伊藤圭介翁の遺書が大学の書庫に収められてる筈であるが、其外に恐らく五部と無いものであろう。
此のシーボルトの『動植物譜』は先年倫敦の某稀覯書肆から買入れたのが丸善の誇りの一つであったが、之が焼けて了ったのだ。
『片無しかネ?』
『片無しでもありません。今、其処で植物《フロラ》を発見《みつ》けましたが、動物《ファウンナ》が見付かりません。』
と、Kがステッキで指さすを見ると、革の表紙が取れて、タイトル・ページが泥塗れになったシーボルトが無残に黒い灰の上に横たわっていた。が、断片零紙も惜むべき此種の名著は、縦令若干の焼け損じがあっても、一部のフロラが略ぼ揃える事が出来たなら猶お大に貴重するに足る。之を尽く灰として了わなかったは有繋《さすが》の悪魔の猛火も名著を滅ぼすを惜んだのであろう。
『リンスホーテンもこんなになって了いました、』とKは懐ろからバラ/\になった焼焦だらけの紙片を出して見せ、『落ちてたのを之だけ拾って来ました。』
リンスホーテンの『東印度旅行記』――原名を"Navigatio ac itinerarivm"と云い、一五九九年ヘーゲの出版である。比の貴重なる初版が日本の図書館に有る乎無い乎は疑問である。
『ジェシュートの書翰集は?』
『あれは無論駄目です。あの棚のものは悉皆焼けて了いました。』
此書翰集こそ真に
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