家庭の読書室
内田魯庵

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【テキスト中に現れる記号について】

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)未だ/\
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 近ごろは一般に大分本を読むやうになつた。が、女は相変らず読まんナ、若い女どもは無暗と新らしがつてるが、小説を少しばかり読むものは読書家がつてる。尤も新聞さへ碌々読まんのが多いのだから、新らしい小説の一冊も読むものは読書家然としてゐられるが、未だ/\読書国民とは云はれない。
 第一、書物を買ふ銭を惜しむ事は呆れて了ふ。要りもしない、一年に二度か三度著る事があるか無いか解らなくても、著物は五十円六十円出して拵へるのを一向何とも思はんくせに、書物となると十銭か二十銭の雑誌一冊でも借りて読まうとしてゐる。
 十年も前の咄だが、麻布に住んでる男が来て、帝国文庫の太平記を貸して呉れといふ。夫れから貸してもいゝが、麻布から爰まで来る車代――其時分電車は無かつた――があつたら帝国文庫が買へるだらうと云つたら、成程と、初めて気が付いたやうな顔をしてゐたが、ツマリ書物は借りるものときめて置くから、車代を出すのを何とも思はないでも書物代を出す気にならんのだ。
 一体日本人は書物を読まぬ習慣になつてる。昔しは武士の高等教育は武芸であつて、唯の役人となるには筆算と習字さへ出来れば沢山であつた。書籍は学者の商売道具ときめ込んでゐたから学者以外の人間には全く無用であつた。況してや女わらべは草双紙を読むぐらゐで、此の草双紙や戯作本は堅木の家では遠ざけてゐたから、四民の上に位する堂々たる武士の家に書物が一冊も無いのは少しも珍らしく無かつた。
 代々此習慣がついてるから、中流以下は勿論、士族が大部分を占むる中流以上の家でも、特別に学問好き書籍好きの主人の家は別として、大抵な家でも主人の書斎の無い家がある。書斎の必要が無いのだ。去年だか一昨年だか朝日新聞に、現代家屋の図面が毎日々々載つた事があるが、書斎を特に設けた家は僅かしか無い。偶々あつても四畳半から六畳だ。四畳半ぐらゐで沢山なんだらう。ツイ此頃も或る建築雑誌に某紳士の新築家屋の写真が出てゐたが、書斎の写真を見ると、左に右く体裁は作つてあるが、肝腎の本箱の書物の憐れなのはお座がさめて了ふ。(写真でも能く解るのだ。)実際、此頃も或る懇意な男が、書斎を作つたから見に来て呉れといふので行つて見ると
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