為文学者経
三文字屋金平
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)棚《たな》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|職分《しよくぶん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)縊《く※[#二の字点、1−2−22]》らんとする
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)決して/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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棚《たな》から落《お》ちる牡丹《ぼた》餅《もち》を待《ま》つ者《もの》よ、唐様《からやう》に巧《たく》みなる三代目《さんだいめ》よ、浮木《ふぼく》をさがす盲目《めくら》の亀《かめ》よ、人参《にんじん》呑《の》んで首《くび》縊《く※[#二の字点、1−2−22]》らんとする白痴《たはけ》漢《もの》よ、鰯《いわし》の頭《あたま》を信心《しん/″\》するお怜悧《りこう》連《れん》よ、雲《くも》に登《のぼ》るを願《ねが》ふ蚯蚓《み※[#二の字点、1−2−22]ず》の輩《ともがら》よ、水《みづ》に影《うつ》る月《つき》を奪《うば》はんとする山猿《やまざる》よ、無芸《むげい》無能《むのう》食《しよく》もたれ総身《そうみ》に智恵《ちゑ》の廻《まは》りかぬる男《をとこ》よ、木《き》に縁《よつ》て魚《うを》を求《もと》め草《くさ》を打《うつ》て蛇《へび》に驚《をどろ》く狼狽《うろたへ》者《もの》よ、白粉《おしろい》に咽《む》せて成仏《じやうぶつ》せん事《こと》を願《ねが》ふ艶治郎《ゑんぢらう》よ、鏡《かゞみ》と睨《にら》め競《くら》をして頤《あご》をなでる唐琴屋《からことや》よ、惣て世間一切の善男子[#「惣て世間一切の善男子」に傍点]、若し遊んで暮すが御執心ならば[#「若し遊んで暮すが御執心ならば」に傍点]、直ちにお宗旨を変へて文学者となれ[#「直ちにお宗旨を変へて文学者となれ」に傍点]。
我《わ》が所謂《いはゆる》文学者《ぶんがくしや》とはフィヒテ[#「フィヒテ」に傍線]が“Ueber《ユーバル》 das《ダス》 Wesen《ウエーゼン》 des《デス》 Gelehrten《ゲレールテン》”に述《の》べたてし、七むづかしきものにあらず。内新好《ないしんかう》が『一目《ひとめ》土堤《づゝみ》』に穿《ゑぐ》りし通《つう》仕込《じこみ》の御《おん》作者《さくしや》様方《さまがた》一連《いちれん》を云ふなれば、其|職分《しよくぶん》の更《さら》に重《おも》くして且《か》つ尊《たふと》きは豈《あ》に夫《か》の扇子《せんす》で前額《ひたひ》を鍛《きた》へる野《の》幇間《だいこ》の比《ひ》ならんや。
夫《そ》れ文学者《ぶんがくしや》を目《もく》して預言者《よげんしや》なりといふは生《き》野暮《やぼ》一点張《いつてんばり》の釈義《しやくぎ》にして到底《たうてい》咄《はなし》の出来《でき》るやつにあらず。我《わ》が通《つう》仕込《じこみ》の御《おん》作者《さくしや》様方《さまがた》を尊崇《そんすう》し其|利益《りやく》のいやちこなるを欽仰《きんぎやう》し、其|職分《しよくぶん》をもて重《おも》く且《か》つ大《だい》なりとなすは能《よ》く俗物《ぞくぶつ》を教《をし》え能《よ》く俗物《ぞくぶつ》に渇仰《かつがう》せらるゝが故《ゆゑ》なり、(渠等《かれら》が通《つう》の原則《げんそく》を守《まも》りて俗物《ぞくぶつ》を斥罵《せきば》するにも関《かかは》らず。)然しながら縦令《たとひ》俗物《ぞくぶつ》に渇仰《かつがう》せらる※[#二の字点、1−2−22]といへども路傍《みちばた》の道祖神《だうろくじん》の如く渇仰《かつがう》せらる※[#二の字点、1−2−22]にあらす、又|賞《め》で喜《よろこ》ばるゝと雖《いへ》[#ルビの「いへ」は底本では「いへど」]ども親《おや》の因果《いんぐわ》が子《こ》に報《むく》ふ片輪《かたわ》娘《むすめ》の見世物《みせもの》の如く賞《め》で喜《よろこ》ばるゝの謂《いひ》にあらねば、決して/\心配《しんぱい》すべきにあらす。否《い》な、俗物《ぞくぶつ》の信心《しん/″\》は文学者《ぶんがくしや》即ち御《おん》作者《さくしや》様方《さまがた》の生命《せいめい》なれば、否《い》な、俗物《ぞくぶつ》の鑑賞《かんしやう》を辱《かたじけな》ふするは御《おん》作者《さくしや》様方《さまがた》即ち文学者《ぶんがくしや》が一期《いちご》の栄誉《えいよ》なれば、之を非難《ひなん》するは畢竟《ひつきやう》当世《たうせい》の文学《ぶんがく》を知《し》らざる者といふべし。
此故《このゆゑ》に当世《たうせい》の文学者《ぶんがくしや》は口《くち》に俗物《ぞくぶつ》を斥罵《せきば》する事|頗《すこぶ》る甚《はなは》だしけれど、人気《じんき》の前《まへ》に枉屈《わうくつ》して其|奴隷《どれい》となるは少《すこ》しも珍《めづ》らしからず。大入《おほいり》だ評判《ひやうばん》だ四|版《はん》だ五|版《ばん》だ傑作《けつさく》ぢや大作《たいさく》ぢや豊年《ほうねん》ぢや万作《まんさく》ぢやと口上《こうじやう》に咽喉《のど》を枯《か》らし木戸銭《きどせん》を半減《はんまけ》にして見《み》せる縁日《えんにち》の見世物《みせもの》同様《どうやう》、薩摩《さつま》蝋※[#「虫+燭のつくり」、第4水準2−87−92]《らふそく》てら/\と光《ひか》る色摺《いろずり》表紙《べうし》に誤魔化《ごまくわ》して手拭紙《てふきがみ》にもならぬ厄介者《やくかいもの》を売附《うりつ》けるが斯道《しだう》の極意《ごくい》、当世《たうせい》文学者《ぶんがくしや》の心意気《こゝろいき》ぞかし。さりながら人気《じんき》の奴隷《どれい》となるも畢竟《ひつきやう》は俗物《ぞくぶつ》済度《さいど》といふ殊勝《しゆしよう》らしき奥《おく》の手《て》があれば強《あなが》ち無用《むよう》と呼《よ》ばゝるにあらず、却《かへつ》て之《こ》れ中々《なか/\》の大事《だいじ》決《けつ》して等閑《なほざり》にしがたし。俗人《ぞくじん》を教《をし》ふる功徳《くどく》の甚深《じんしん》広大《くわうだい》にしてしかも其|勢力《せいりよく》の強盛《きやうせい》宏偉《くわうゐ》なるは熊肝《くまのゐ》宝丹《はうたん》の販路《はんろ》広《ひろ》きをもて知《し》らる。洞簫《どうせう》の声《こゑ》は嚠喨《りうりやう》として蘇子《そし》の膓《はらわた》を断《ちぎ》りたれど終《つひ》にトテンチンツトンの上調子《うはでうし》仇《あだ》つぽきに如《し》かず。カント[#「カント」に傍線]の超絶《てうぜつ》哲学《てつがく》や余姚《よよう》の良知説《りやうちせつ》や大《だい》は即《すなは》ち大《だい》なりと雖《いへ》ども臍栗《へそくり》銭《ぜに》を牽摺《ひきず》り出《だ》すの術《じゆつ》は遥《はる》かに生臭《なまぐさ》坊主《ばうず》が南無《なむ》阿弥陀仏《あみだぶつ》に及《およ》ばず。されば大恩《だいおん》教主《けうしゆ》は先《ま》づ阿含《あごん》を説法《せつぱう》し志道軒《しだうけん》は隆々《りゆう/\》と木陰《ぼくいん》を揮回《ふりまは》す、皆之《みなこ》れこ※[#二の字点、1−2−22]の呼吸《こきふ》を呑込《のみこ》んでの上《うへ》の咄《はなし》なり。流石《さすが》に明治《めいぢ》の御《おん》作者《さくしや》様方《さまがた》は通《つう》の通《つう》だけありて俗物《ぞくぶつ》済度《さいど》を早《はや》くも無二《むに》の本願《ほんぐわん》となし俗物《ぞくぶつ》の調子《てうし》を合点《がてん》して能《よ》く幇間《たいこ》を叩《たゝ》きてお髯《ひげ》の塵《ちり》を払《はら》ふの工風《くふう》を大悟《たいご》し、向《むか》ふ三軒《さんげん》両隣《りやうどな》りのお蝶《てふ》丹次郎《たんじらう》お染《そめ》久松《ひさまつ》よりやけ[#「やけ」に傍点]にひねつた「ダンス」の Miss《ミツス》 B.《ビー》 A.《エー》 Bae.《べー》 [#「Miss B. A. Bae.」は斜体字]瓦斯《ぐわす》糸織《いとおり》に綺羅《きら》を張《は》る印刷局《いんさつきよく》の貴婦人《レデイ》に到るまで随喜《ずゐき》渇仰《かつがう》せしむる手際《てぎは》開闢以来《かいびやくいらい》の大出来《おほでき》なり。聞《き》けば聖書《バイブル》を糧《かて》にする道徳家《だうとくか》が二十五銭の指環《ゆびわ》を奮発《ふんぱつ》しての「ヱンゲージメント」、綾羅《りようら》錦繍《きんしゆう》の姫様《ひいさま》が玄関番《げんくわんばん》の筆助君《ふですけくん》にやいの[#「やいの」に傍点]/\を極《き》め込《こ》んだ果《はて》の「ヱロープメント」、皆之《みなこ》れ小説《せうせつ》の功徳《くどく》なりといふ。よしや一|斗《と》の「モルヒ子」に死《し》なぬ例《ためし》ありとも月夜《つきよ》に釜《かま》を抜《ぬ》かれぬ工風《くふう》を廻《めぐ》らし得《う》べしとも、当世《たうせい》小説《せうせつ》の功徳《くどく》を授《さづ》かり少《すこ》しも其|利益《りやく》を蒙《かうむ》らぬ事|曾《かつ》て有《あ》るべしや。
冒険譚《ばうけんだん》の行《おこな》はれし十八|世紀《せいき》には航海《かうかい》の好奇心《かうきしん》を焔《もや》し、京伝《きやうでん》の洒落本《しやれぼん》流行《りうかう》せし時《とき》は勘当帳《かんだうちやう》の紙数《しすう》増加《ぞうか》せしとかや。抑も辻行灯《つじあんどう》廃《すた》れて電気灯《でんきとう》の光明《くわうみやう》赫灼《かくしやく》として闇夜《やみよ》なき明治《めいぢ》の小説《せうせつ》が社会《しやくわい》に於ける影響《えいきやう》は如何《いかん》。『戯作《げさく》』と云へる襤褸《ぼろ》を脱《ぬ》ぎ『文学《ぶんがく》』といふ冠《かむり》着《つ》けしだけにても其|効果《かうくわ》の著《いちゞ》るしく大《だい》なるは知《し》らる。
英吉利《いぎりす》は野暮堅《やぼがた》き真面目《まじめ》一方《いつぱう》の国《くに》なれば、人間《にんげん》の元来《ぐわんらい》醜悪《しうあく》なるにお気《き》が附《つ》かれずして、ゾオラ[#「ゾオラ」に傍線]が偶々《たま/\》醜悪《しうあく》のまゝを写《うつ》せば青筋《あをすじ》出して不道徳《ふだうとく》文書《ぶんしよ》なりと罵《のゝし》り叫《わめ》く事さりとは野暮《やぼ》の行《い》き過《す》ぎ余《あま》りに業々《げふ/\》しき振舞《ふるまひ》なり。さりながら論語《ろんご》に唾《つ》を吐《は》きて梅暦《むめごよみ》を六韜三略《りくとうさんりやく》とする当世《たうせい》の若檀那《わかだんな》気質《かたぎ》は其《そ》れとは反対《うらはら》にて愈々《いよ/\》頼《たの》もしからず。東京《とうきやう》の或る固執派《オルソドキシカー》教会《けうくわい》に属《ぞく》する女学校《ぢよがつかう》の教師《けうし》が曾我物語《そがものがたり》の挿画《さしゑ》に男女《なんによ》の図《づ》あるを見《み》て猥褻《わいせつ》文書《ぶんしよ》なりと飛《と》んだ感違《かんちが》ひして炉中《ろちう》に投込《なげこ》みしといふ一ツ咄《ばなし》も近頃《ちかごろ》笑止《せうし》の限《かぎ》りなれど、如何《どう》考《かんが》へても聖書《バイブル》よりは小説《せうせつ》の方《はう》が面白《おもしろ》いには違《ちが》ひなく、教師《けうし》の眼《め》を窃《ぬす》んでは「よくッてよ」派《は》小説《せうせつ》に現《うつゝ》を抜《ぬ》かすは此頃《このごろ》の女生徒《ぢよせいと》気質《かたぎ》なり。例《たと》へば地《ち》を打《う》つ槌《つち》は外《はづ》る※[#二の字点、1−2−22]とも青年《せいねん》男女《なんによ》にして小説《せうせつ》読《よ》まぬ者なしといふ鑑定《かんてい》は恐《おそ》らく外《はづ》れツこななるべし。
俗界《ぞくかい》に於《お》ける小説《せうせつ》の勢力《せいりよく》斯《
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