か》くの如《ごと》く大《だい》なれば随《したがつ》て小説家《せうせつか》即《すなは》ち今《いま》の所謂《いはゆる》文学者《ぶんがくしや》のチヤホヤ[#「チヤホヤ」に傍点]せらるゝは人気《じんき》役者《やくしや》も物《もの》の数《かづ》ならず。此故《このゆゑ》に腥《なまぐさ》き血《ち》の臭《にほひ》失《う》せて白粉《おしろい》の香《かをり》鼻《はな》を突《つ》く太平《たいへい》の御代《みよ》にては小説家《せうせつか》即ち文学者《ぶんがくしや》の数《かず》次第々々《しだい/\》に増加《ぞうか》し、鯛《たひ》は[#「鯛《たひ》は」はママ]花《はな》は見《み》ぬ里《さと》もあれど、鯡《にしん》寄《よ》る北海《ほつかい》の浜辺《はまべ》、薯蕷《じねんじやう》掘《ほ》る九州《きうしゆう》の山奥《やまおく》に到《いた》るまで石版画《せきばんゑ》と赤本《あかほん》は見《み》ざるの地《ち》なしと鼻《はな》うごめかして文学《ぶんがく》の功徳《くどく》無量広大《むりやうくわうだい》なるを説《と》く当世男《たうせいをとこ》殆《ほと》んど門並《かどなみ》なり。寄《よ》れば触《さは》れば高慢《かうまん》の舌《した》爛《たゞら》してヤレ沙翁《シヱークスピーヤ》は造化《ざうくわ》の一人子《ひとりご》であると胴羅魔声《どらまごゑ》を振染《ふりしぼ》り西鶴《さいくわく》は九皐《きうかう》に鳶《とんび》トロヽを舞《ま》ふと飛《と》ンだ通《つう》を抜《ぬ》かし、何《なに》かにつけては美学《びがく》の受売《うけうり》をして田舎者《いなかもの》の緋《ひ》メレンスは鮮《あざや》かだから美《び》で江戸ツ子の盲縞《めくらじま》はジミ[#「ジミ」に傍点]だから美《び》でないといふ滅法《めつぱふ》の大議論《だいぎろん》に近所《きんじよ》合壁《がつぺき》を騒《さわ》がす事少しも珍《めづ》らしからず。好奇《ものずき》な統計家《とうけいか》が概算《がいさん》に依れば小遣帳《こづかいちやう》に元禄《げんろく》を拈《ひね》る通人迄《つうじんまで》算入《さんにう》して凡《およ》そ一町内《いつちやうない》に百「ダース」を下《くだ》る事あるまじといふ。
夫れ台所《だいどころ》に於ける鼠《ねづみ》の勢力《せいりよく》の法外《はふぐわい》なる飯焚男《めしたきをとこ》が升落《ますおと》しの計略《けいりやく》も更に討滅《たうめつ》しがたきを思へば、社会問題《しやくわいもんだい》に耳《みゝ》傾《かたむ》くる人いかで此|一町内《いつちやうない》百「ダース」の文学者《ぶんがくしや》を等閑《なほざり》にするを得《う》べき。若し惣《すべ》ての文学者《ぶんがくしや》を駆《かつ》て兵役《へいえき》に従事《じゆうじ》せしめば常備軍《じやうびぐん》は頓《にはか》に三倍《さんばい》して強兵《きやうへい》の実《じつ》忽《たちま》ち挙《あ》がるべく、惣《すべ》ての文学者《ぶんがくしや》に支払《しはら》ふ原稿料《げんかうれう》を算《つも》れば一万|噸《とん》の甲鉄艦《かふてつかん》何艘《なんざう》かを造《つく》るに当《あた》るべく、惣《すべ》ての文学者《ぶんがくしや》が消費《せうひ》する筆墨料《ひつぼくれう》を徴収《ちようしう》すれば慈善《じぜん》病院《びやうゐん》三ツ四ツを設《つく》る事|決《けつ》して難《かた》きにあらず、惣《すべ》ての文学者《ぶんがくしや》が喰潰《くひつぶ》す米《こめ》と肉《にく》を蓄積《ちくせき》すれば百度《ひやくたび》饑饉《ききん》来《きた》るとも更《さら》に恐《おそ》るゝに足《た》らざるべく、若《も》し又|惣《すべ》ての文学者《ぶんがくしや》を一時《いちじ》に殺戮《さつりく》すれば其|死屍《しゝ》は以て日本海《につぽんかい》を埋《うづ》むべく其|血《ち》は以て太平洋《たいへいよう》を変色《へんしよく》せしむべし。
文学者《ぶんがくしや》は一の社会問題《しやくわいもんだい》なり、貧民《ひんみん》が、僧侶《ばうず》が、娼妓《しやうぎ》が社会問題《しやくわいもんだい》となれる如く。
熟々《つら/\》考《かんが》ふるに天《てん》に鳶《とんび》ありて油揚《あぶらげ》をさらひ地《ち》に土鼠《もぐらもち》ありて蚯蚓《みゝず》を喰《くら》ふ目出度《めでた》き中《なか》に人間《にんげん》は一日《いちにち》あくせくと働《はたら》きて喰《く》ひかぬるが今日《けふ》此頃《このごろ》の世智辛《せちがら》き生涯《しやうがい》なり。学校《がつこう》の卒業《そつげふ》証書《しようしよ》が二|枚《まい》や三|枚《まい》有《あ》つたとて鼻《はな》を拭《ふ》く足《たし》にもならねば高《たか》が壁《かべ》の腰張《こしばり》か屏風《びやうぶ》の下張《したばり》が関《せき》の山《やま》にて、偶々《たま/\》荷厄介《にやつかい》にして箪笥《たんす》に蔵《しま》へば縦令《たと》へば虫《むし》に喰《く》はるゝとも喰《く》ふ種《たね》には少《すこ》しもならず。学士《がくし》ですの何《なん》のと云ツた処《ところ》で味噌摺《みそすり》の法《はふ》を知《し》らずお辞義《じぎ》の礼式《れいしき》に熟《じゆく》せざれば何処《どこ》へ行《いつ》ても敬《けい》して遠《とほ》ざけらる※[#二の字点、1−2−22]が結局《おち》にて未《ま》だしも敬《けい》さるゝだけを得《とく》にして責《せ》めてもの大出来《おほでき》といふべし。ミルトン[#「ミルトン」に傍線]の詩《し》を高《たか》らかに吟《ぎん》じた処《ところ》で饑渇《きかつ》は中《なか》々に医《い》しがたくカント[#「カント」に傍線]の哲学《てつがく》に思《おもひ》を潜《ひそ》めたとて厳冬《げんとう》単衣《たんい》終《つひ》に凌《しの》ぎがたし。学問《がくもん》智識《ちしき》は富士《ふじ》の山《やま》ほど有《あ》ツても麺包屋《ぱんや》が眼《め》には唖銭《びた》一文《いちもん》の価値《ねうち》もなければ取ツけヱべヱ[#「取ツけヱべヱ」に傍点]は中々《なか/\》以《もつ》ての外《ほか》なり。トヾ[#「トヾ」に傍点]の結局《つまり》が博物館《はくぶつくわん》に乾物《ひもの》の標本《へうほん》を残《のこ》すか左《さ》なくば路頭《ろとう》の犬《いぬ》の腹《はら》を肥《こや》すが世《よ》に学者《がくしや》としての功名《こうみやう》手柄《てがら》なりと愚痴《ぐち》を覆《こぼ》す似而非《えせ》ナツシユ[#「ナツシユ」に傍線]は勿論《もちろん》白痴《こけ》のドン[#「ドン」に傍点]詰《づま》りなれど、さるにても笑止《せうし》なるは世《よ》の是《これ》沙汰《さた》、飯粒《めしつぶ》に釣《つ》らるゝ鮒男《ふなをとこ》がヤレ才子《さいし》ぢや怜悧者《りこうもの》ぢやと褒《ほ》めそやされ、偶《たま》さか活《い》きた精神《せいしん》を有《も》つ者《もの》あれば却《かへつ》て木偶《でく》のあしらひせらるゝ事|沙汰《さた》の限《かぎ》りなり。騙詐《かたり》が世渡《よわた》り上手《じやうず》で正直《しやうぢき》が無気力漢《いくぢなし》、無法《むはう》が活溌《くわつぱつ》で謹直《きんちよく》が愚図《ぐづ》、泥亀《すつぽん》は天《てん》に舞《ま》ひ鳶《とんび》は淵《ふち》に躍《をど》る、さりとは不思議《ふしぎ》づくめの世《よ》の中《なか》ぞかし。
斯《かゝ》る中《なか》にも社会《しやくわい》に大勢力《だいせいりよく》を有《いう》する文学者《ぶんがくしや》どのは平気《へいき》の平三《へいざ》で行詰《ゆきづま》りし世《よ》を屁《へ》とも思《おも》はず。春《はる》うら/\蝶《てふ》と共《とも》に遊《あそ》ぶや花《はな》の芳野山《よしのやま》に玉《たま》の巵《さかづき》を飛《と》ばし、秋《あき》は月《つき》てら/\と漂《たゞよ》へる潮《うしほ》を観《み》て絵島《ゑのしま》の松《まつ》に猿《さる》なきを怨《うら》み、厳冬《げんとう》には炬燵《こたつ》を奢《おごり》の高櫓《たかやぐら》と閉籠《とぢこも》り、盛夏《せいか》には蚊帳《かや》を栄耀《えいえう》の陣小屋《ぢんごや》として、米《こめ》は俵《たはら》より涌《わ》き銭《ぜに》は蟇口《がまぐち》より出《いづ》る結構《けつこう》な世《よ》の中《なか》に何《なに》が不足《ふそく》で行倒《ゆきだふ》れの茶番《ちやばん》狂言《きやうげん》する事かとノンキ[#「ノンキ」に傍点]に太平楽《たいへいらく》云ふて、自作《じさく》の小説《せうせつ》が何十遍《なんじつぺん》摺《ずり》とかの色表紙《いろべうし》を付《つ》けて売出《うりだ》され、二号《にがう》活字《くわつじ》の広告《くわうこく》で披露《ひろう》さるゝ外《ほか》は何《なん》の慾《よく》もなき気楽《きらく》三|昧《まい》、あツたら老先《おひさき》の長《なが》い青年《せいねん》男女《なんによ》を堕落《だらく》せしむる事は露《つゆ》思《おも》はずして筆費《ふでづひ》え紙費《かみづひ》え、高《たか》が大家《たいか》と云はれて見《み》たさに無暗《むやみ》に原稿紙《げんかうし》を書《か》きちらしては屑屋《くづや》に忠義《ちうぎ》を尽《つく》すを手柄《てがら》とは心得《こころえ》るお目出《めで》たき商売《しやうばい》なり。月《つき》雪《ゆき》花《はな》は魯《おろ》か犬《いぬ》が子《こ》を産《う》んだとては一句《いつく》を作《つく》り猫《ねこ》が肴《さかな》を窃《ぬす》んだとては一杯《いつぱい》を飲《の》み何《なに》かにつけて途方《とはう》もなく嬉《うれ》しがる事おかめ[#「おかめ」に傍点]が甘酒《あまざけ》に酔《ゑ》ふと|仝《おな》じ。
斯《か》くの如《ごと》く文学者《ぶんがくしや》は身分《みぶん》不相応《ふさうおう》に勢力《せいりよく》を有《いう》し且つ身分《みぶん》不相応《ふさうおう》にのンき[#「のンき」に傍点]なり。世《よ》に気楽《きらく》なるものは文学者《ぶんがくしや》なり、世《よ》に羨《うらや》ましき者《もの》は文学者《ぶんがくしや》なり、接待《せつたい》の酒《さけ》を飲《の》まぬ者も文学者《ぶんがくしや》たらん事を欲《ほつ》し、落《お》ちたるを拾《ひろ》はぬ者も文学者《ぶんがくしや》たるを願《ねが》ふべし。
然《しか》るに世《よ》にすね[#「すね」に傍点]たる阿呆《あはう》は痛《いた》く文学者《ぶんがくしや》を斥罵《せきば》すれども是れ中々《なか/\》に識見《しきけん》の狭陋《けふろう》を現示《げんじ》せし世迷言《よまいごと》たるに過《す》ぎず。冷静《れいせい》なる社会的《しやくわいてき》の眼《め》を以《もつ》て見《み》れば、等《ひと》しく之れ土居《どきよ》して土食《どしよく》する一ツ穴《あな》の蚯蚓《みゝず》※[#「虫+鰌のつくり」、第4水準2−87−64]※[#「虫+齊」、第3水準1−91−69]《おけら》の徒《ともがら》なれば何《いづ》れを高《たか》しとし何《いづ》れを低《ひく》しとなさん。濁醪《どぶろく》を引掛《ひつか》ける者が大福《だいふく》を頬張《ほゝば》る者を笑《わら》ひ売色《ばいしよく》に現《うつゝ》を抜《ぬ》かす者が女房《にようばう》にデレ[#「デレ」に傍点]る鼻垂《はなたらし》を嘲《あざけ》る、之れ皆|他《ひと》の鼻《はな》の穴《あな》の広《ひろ》きを知《しつ》て我《わ》が尻《しり》の穴《あな》の窄《せま》きを悟《さと》らざる烏滸《をこ》の白者《しれもの》といふべし。窮理《きゆうり》決《けつ》して迂《う》なるにあらず実践《じつせん》何《なん》ぞ浅《あさ》しと云はんや。魚肴《さかな》は生臭《なまぐさ》きが故《ゆゑ》に廉《やす》からず蔬菜《やさい》は土臭《つちくさ》しといへども尊《たふ》とし。馬《むま》に角《つの》なく鹿《しか》に※[#「馬+※[#柳の正字、第4水準2−14−72]のつくり」、219−16]《たてがみ》なく犬《いぬ》は※[#「口+若」、219−16]《にやん》と啼《な》いてじやれ[#「じやれ」に傍点]ず猫《ねこ》はワン[#「ワン」に傍点]と吠《ほ》えて夜《よ》を守《まも》らず、然《しか》れども自《おのづか》ら馬《むま》なり鹿
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