《しか》なり犬《いぬ》なり猫《ねこ》なるを妨《さまた》けず。稼《かせ》ぐものあれば遊《あそ》ぶ者あり覚《さ》める者あれば酔《ゑ》ふ者あるが即ち世《よ》の実相《じつさう》なれば己《おの》れ一人《ひとり》が勝手《かつて》な出放題《ではうだい》をこねつけて好《い》い子《こ》の顔《かほ》をするは云はふ様《やう》なき歿分暁漢《わからずや》言語同断《ごんごどうだん》といふべし。縦令《たとひ》石橋《いしばし》を叩《たゝ》いて理窟《りくつ》を拈《ひね》る頑固《ぐわんこ》党《とう》が言《こと》の如く、文学者《ぶんがくしや》を以《もつ》て放埓《はうらつ》遊惰《いうだ》怠慢《たいまん》痴呆《ちはう》社会《しやくわい》の穀潰《ごくつぶ》し太平《たいへい》の寄生虫《きせいちう》となすも、兎《と》に角《かく》文学者《ぶんがくしや》が天下《てんか》の最幸《さいかう》最福《さいふく》なる者たるに少《すこ》しも差閊《さしつかへ》なし。然《しか》るを愚図々々《ぐづ/\》と賢《さか》しらだちて罵《のゝし》るは隣家《となり》のお菜《かず》を考《かんが》へる独身者《ひとりもの》の繰言《くりごと》と何《なん》ぞ択《えら》まん。
加之《しかのみならず》、文学者《ぶんがくしや》を以《もつ》て怠慢《たいまん》遊惰《いうだ》の張本《ちやうほん》となすおせツかい[#「おせツかい」に傍点]は偶《たま》/\怠慢《たいまん》遊惰《いうだ》の却《かへつ》て神《かみ》の天啓《てんけい》に協《かな》ふを知《し》らざる白痴《たはけ》なり。謹《つゝし》んで慮《おもんぱ》かるに神《かみ》の御恵《みめぐみ》洽《あまね》かりし太古《たいこ》創造《さう/″\》の時代《じだい》には人間《にんげん》無為《むゐ》にして家業《かげふ》といふ七むづかしきものもなければ稼《かせ》ぐといふ世話《せわ》もなく面白《おもしろ》おかしく喰《くつ》て寝《ね》て日向《ひなた》ぼこりしてゐられたものゝ如し。アダム[#「アダム」に傍線]の二本棒《にほんぼう》が意地《いぢ》汚《きたな》さの摂《つま》み喰《ぐひ》さへ為《せ》ずば開闢《かいびやく》以来《いらい》五千|年《ねん》[#ルビの「ねん」は底本では「わん」]の今日《こんにち》まで人間《にんげん》は楽園《パラダイス》の居候《ゐさふらふ》をしてゐられべきにとンだ[#「とンだ」に傍点]飛《とば》ツ塵《ちり》が働《はたら》いて喰《く》ふといふ面倒《めんだう》を生《しやう》じ※[#二の字点、1−2−22]は扨《さて》も迷惑《めいわく》千万《せんばん》の事ならずや。神《かみ》が創造《さう/″\》の御心《みこゝろ》は人間《にんげん》を楽《たのし》ましめんとするにありて苦《くるし》ましめんとするにあらず。無為《むゐ》は天則《てんそく》なり、無精《ぶしやう》は神慮《しんりよ》に協《かな》へり。正直《しやうぢき》の頭《かうべ》に神《かみ》宿《やど》る――嫌《いや》な思をして稼《かせ》ぐよりは真《ま》ツ正直《しやうぢき》に遊《あそ》んで暮《くら》すが人間《にんげん》の自然《しぜん》にして祈《いの》らずとても神《かみ》や守《まも》らん。文学者《ぶんがくしや》を以て大《だい》のンき[#「のンき」に傍点]なり大《だい》気楽《きらく》なり大《だい》阿呆《あはう》なりといふ事の当否《たうひ》は兎《と》も角《かく》も眼《め》ばかりパチクリ[#「パチクリ」に傍点]さして心《こゝろ》は藻脱《もぬけ》の売《から》となれる木乃伊《ミイラ》文学者《ぶんがくしや》は豈《あ》に是れ人間《にんげん》の精粋《きつすゐ》にあらずや。
且つ又|聖経《バイブル》の教ふる処《ところ》に依《よ》れば天国《てんこく》に行《ゆ》かんとすれば是非《ぜひ》とも小児《せうに》の心《こゝろ》を有《も》たざるべからず。小児《せうに》の如くタワイ[#「タワイ」に傍点]なく、意気地《いくぢ》なく、湾白《わんぱく》で、ダヾ[#「ダヾ」に傍点]をこねて、遊《あそ》び好《ずき》で、無法《むはふ》で、歿分暁《わからずや》で、或時《あるとき》はお山《やま》の大将《たいしやう》となりて空威張《からゐばり》をし、或時《あるとき》はデレリ[#「デレリ」に傍点]茫然《ばうぜん》としてお芋《いも》の煮《に》えたも御存《ごぞん》じなきお目出《めで》たき者は当世《たうせう》[#「たうせう」はママ]の文学者《ぶんがくしや》を置《お》いて誰《た》ぞや。
文学者なる哉[#「文学者なる哉」に傍点]、文学者なる哉[#「文学者なる哉」に傍点]。天変地異《てんぺんちい》を笑《わら》つて済《す》ますものは文学者《ぶんがくしや》なり。社会《しやくわい》人事《じんじ》を茶《ちや》にして仕舞《しま》ふ者は文学者《ぶんがくしや》なり。否《い》な、神の特別《とくべつ》なる贔屓《ひいき》を受《う》けて自然《しぜん》に hypnotize《ヒプノタイズ》 さる※[#二の字点、1−2−22]ものは文学者《ぶんがくしや》なり。文学者なる哉[#「文学者なる哉」に傍点]、文学者なる哉[#「文学者なる哉」に傍点]。
我れ三文字屋《さんもんじや》金平《きんぴら》夙《つと》に救世《ぐせい》の大本願《だいほんぐわん》を起《おこ》し、終《つひ》に一切《いつさい》の善男《ぜんなん》善女《ぜんによ》をして悉《ことごと》く文学者《ぶんがくしや》たらしめんと欲《ほつ》し、百で買《か》ツた馬《むま》の如くのたり/\[#「のたり/\」に傍点]として工風《くふう》を凝《こら》し、虱《しらみ》を捫《ひね》る事一万疋に及びし時|酒屋《さかや》の厮童《こぞう》が「キンライ」節《ふし》を聞いて豁然《くわつぜん》大悟《たいご》し、茲に椽大《えんだい》の椎実筆《しひのみふで》を揮《ふるつ》て洽《あまね》く衆生《しゆじやう》の為《ため》に為《ゐ》文学者《ぶんがくしや》経《きやう》を説解《せつかい》せんとす。
右から見ても左から見ても文学者は最幸最福なる動物なり[#「右から見ても左から見ても文学者は最幸最福なる動物なり」に傍点]。我が抜苦《ばつく》与楽《よらく》の説法《せつぱう》を疑《うたが》ふ事なく一図《いちづ》に有《あり》がたがツて盲信《まうしん》すれば此世《このよ》からの極楽《ごくらく》往生《おうじやう》決《けつ》して難《かた》きにあらず。銀価《ぎんか》の下落《げらく》を心配《しんぱい》する苦労性《くらうしやう》、月給《げつきふ》の減額《げんがく》に気《き》を揉《も》む神経《しんけい》先生《せんせい》、若《もし》くは身躰《からだ》にもてあます食《しよく》もたれの豚《ぶた》の子《こ》、無暗《むやみ》に首《くび》を掉《ふ》りたがる張子《はりこ》の虎《とら》、来《きた》つて此|説法《せつぱう》を聴聞《ちやうもん》し而してのち文学者《ぶんがくしや》となれ。朝飯前《あさめしまへ》の仕事《しごと》にして天下《てんか》を驚《をどろ》かす事|虎列刺《コレラ》よりも甚《はなは》だしく天下《てんか》に評判《ひやうばん》さる※[#二の字点、1−2−22]事|蜘蛛《くも》男《をとこ》よりも隆《さか》んなるは唯其れ文学者あるのみ[#「文学者あるのみ」に傍点]、文学者あるのみ[#「文学者あるのみ」に傍点]。



底本:「日本の名随筆60 愚」作品社
   1987(昭和62)年10月25日第1刷発行
   1990(平成2)年6月30日第5刷
底本の親本:「文学者となる法」右文社
   1894(明治27)年4月
入力:奥村正明
校正:菅野朋子
2000年8月1日公開
2005年12月9日修正
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