うみやう》赫灼《かくしやく》として闇夜《やみよ》なき明治《めいぢ》の小説《せうせつ》が社会《しやくわい》に於ける影響《えいきやう》は如何《いかん》。『戯作《げさく》』と云へる襤褸《ぼろ》を脱《ぬ》ぎ『文学《ぶんがく》』といふ冠《かむり》着《つ》けしだけにても其|効果《かうくわ》の著《いちゞ》るしく大《だい》なるは知《し》らる。
英吉利《いぎりす》は野暮堅《やぼがた》き真面目《まじめ》一方《いつぱう》の国《くに》なれば、人間《にんげん》の元来《ぐわんらい》醜悪《しうあく》なるにお気《き》が附《つ》かれずして、ゾオラ[#「ゾオラ」に傍線]が偶々《たま/\》醜悪《しうあく》のまゝを写《うつ》せば青筋《あをすじ》出して不道徳《ふだうとく》文書《ぶんしよ》なりと罵《のゝし》り叫《わめ》く事さりとは野暮《やぼ》の行《い》き過《す》ぎ余《あま》りに業々《げふ/\》しき振舞《ふるまひ》なり。さりながら論語《ろんご》に唾《つ》を吐《は》きて梅暦《むめごよみ》を六韜三略《りくとうさんりやく》とする当世《たうせい》の若檀那《わかだんな》気質《かたぎ》は其《そ》れとは反対《うらはら》にて愈々《いよ/\》頼《たの》もしからず。東京《とうきやう》の或る固執派《オルソドキシカー》教会《けうくわい》に属《ぞく》する女学校《ぢよがつかう》の教師《けうし》が曾我物語《そがものがたり》の挿画《さしゑ》に男女《なんによ》の図《づ》あるを見《み》て猥褻《わいせつ》文書《ぶんしよ》なりと飛《と》んだ感違《かんちが》ひして炉中《ろちう》に投込《なげこ》みしといふ一ツ咄《ばなし》も近頃《ちかごろ》笑止《せうし》の限《かぎ》りなれど、如何《どう》考《かんが》へても聖書《バイブル》よりは小説《せうせつ》の方《はう》が面白《おもしろ》いには違《ちが》ひなく、教師《けうし》の眼《め》を窃《ぬす》んでは「よくッてよ」派《は》小説《せうせつ》に現《うつゝ》を抜《ぬ》かすは此頃《このごろ》の女生徒《ぢよせいと》気質《かたぎ》なり。例《たと》へば地《ち》を打《う》つ槌《つち》は外《はづ》る※[#二の字点、1−2−22]とも青年《せいねん》男女《なんによ》にして小説《せうせつ》読《よ》まぬ者なしといふ鑑定《かんてい》は恐《おそ》らく外《はづ》れツこななるべし。
俗界《ぞくかい》に於《お》ける小説《せうせつ》の勢力《せいりよく》斯《か》くの如《ごと》く大《だい》なれば随《したがつ》て小説家《せうせつか》即《すなは》ち今《いま》の所謂《いはゆる》文学者《ぶんがくしや》のチヤホヤ[#「チヤホヤ」に傍点]せらるゝは人気《じんき》役者《やくしや》も物《もの》の数《かづ》ならず。此故《このゆゑ》に腥《なまぐさ》き血《ち》の臭《にほひ》失《う》せて白粉《おしろい》の香《かをり》鼻《はな》を突《つ》く太平《たいへい》の御代《みよ》にては小説家《せうせつか》即ち文学者《ぶんがくしや》の数《かず》次第々々《しだい/\》に増加《ぞうか》し、鯛《たひ》は[#「鯛《たひ》は」はママ]花《はな》は見《み》ぬ里《さと》もあれど、鯡《にしん》寄《よ》る北海《ほつかい》の浜辺《はまべ》、薯蕷《じねんじやう》掘《ほ》る九州《きうしゆう》の山奥《やまおく》に到《いた》るまで石版画《せきばんゑ》と赤本《あかほん》は見《み》ざるの地《ち》なしと鼻《はな》うごめかして文学《ぶんがく》の功徳《くどく》無量広大《むりやうくわうだい》なるを説《と》く当世男《たうせいをとこ》殆《ほと》んど門並《かどなみ》なり。寄《よ》れば触《さは》れば高慢《かうまん》の舌《した》爛《たゞら》してヤレ沙翁《シヱークスピーヤ》は造化《ざうくわ》の一人子《ひとりご》であると胴羅魔声《どらまごゑ》を振染《ふりしぼ》り西鶴《さいくわく》は九皐《きうかう》に鳶《とんび》トロヽを舞《ま》ふと飛《と》ンだ通《つう》を抜《ぬ》かし、何《なに》かにつけては美学《びがく》の受売《うけうり》をして田舎者《いなかもの》の緋《ひ》メレンスは鮮《あざや》かだから美《び》で江戸ツ子の盲縞《めくらじま》はジミ[#「ジミ」に傍点]だから美《び》でないといふ滅法《めつぱふ》の大議論《だいぎろん》に近所《きんじよ》合壁《がつぺき》を騒《さわ》がす事少しも珍《めづ》らしからず。好奇《ものずき》な統計家《とうけいか》が概算《がいさん》に依れば小遣帳《こづかいちやう》に元禄《げんろく》を拈《ひね》る通人迄《つうじんまで》算入《さんにう》して凡《およ》そ一町内《いつちやうない》に百「ダース」を下《くだ》る事あるまじといふ。
夫れ台所《だいどころ》に於ける鼠《ねづみ》の勢力《せいりよく》の法外《はふぐわい》なる飯焚男《めしたきをとこ》が升落《ますおと》しの計略《けいりやく》も更に討滅《たうめつ》しがたきを思
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