うみやう》赫灼《かくしやく》として闇夜《やみよ》なき明治《めいぢ》の小説《せうせつ》が社会《しやくわい》に於ける影響《えいきやう》は如何《いかん》。『戯作《げさく》』と云へる襤褸《ぼろ》を脱《ぬ》ぎ『文学《ぶんがく》』といふ冠《かむり》着《つ》けしだけにても其|効果《かうくわ》の著《いちゞ》るしく大《だい》なるは知《し》らる。
英吉利《いぎりす》は野暮堅《やぼがた》き真面目《まじめ》一方《いつぱう》の国《くに》なれば、人間《にんげん》の元来《ぐわんらい》醜悪《しうあく》なるにお気《き》が附《つ》かれずして、ゾオラ[#「ゾオラ」に傍線]が偶々《たま/\》醜悪《しうあく》のまゝを写《うつ》せば青筋《あをすじ》出して不道徳《ふだうとく》文書《ぶんしよ》なりと罵《のゝし》り叫《わめ》く事さりとは野暮《やぼ》の行《い》き過《す》ぎ余《あま》りに業々《げふ/\》しき振舞《ふるまひ》なり。さりながら論語《ろんご》に唾《つ》を吐《は》きて梅暦《むめごよみ》を六韜三略《りくとうさんりやく》とする当世《たうせい》の若檀那《わかだんな》気質《かたぎ》は其《そ》れとは反対《うらはら》にて愈々《いよ/\》頼《たの》もしからず。東京《とうきやう》の或る固執派《オルソドキシカー》教会《けうくわい》に属《ぞく》する女学校《ぢよがつかう》の教師《けうし》が曾我物語《そがものがたり》の挿画《さしゑ》に男女《なんによ》の図《づ》あるを見《み》て猥褻《わいせつ》文書《ぶんしよ》なりと飛《と》んだ感違《かんちが》ひして炉中《ろちう》に投込《なげこ》みしといふ一ツ咄《ばなし》も近頃《ちかごろ》笑止《せうし》の限《かぎ》りなれど、如何《どう》考《かんが》へても聖書《バイブル》よりは小説《せうせつ》の方《はう》が面白《おもしろ》いには違《ちが》ひなく、教師《けうし》の眼《め》を窃《ぬす》んでは「よくッてよ」派《は》小説《せうせつ》に現《うつゝ》を抜《ぬ》かすは此頃《このごろ》の女生徒《ぢよせいと》気質《かたぎ》なり。例《たと》へば地《ち》を打《う》つ槌《つち》は外《はづ》る※[#二の字点、1−2−22]とも青年《せいねん》男女《なんによ》にして小説《せうせつ》読《よ》まぬ者なしといふ鑑定《かんてい》は恐《おそ》らく外《はづ》れツこななるべし。
俗界《ぞくかい》に於《お》ける小説《せうせつ》の勢力《せいりよく》斯《
前へ 次へ
全14ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内田 魯庵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング