たわざるべし。ゆえに僕らはどこまでも料理等の事をもって男子の天職と思うなりと、一人くらいは言いだしそうなものと思うなり。しかるに天下かつてこの事なきを見れば、この料理天職説も畢竟《ひっきょう》は男子の得手勝手より婦人に塗りつけたるものにして、婦人は男子の意を迎えんがため、もしくは知らず知らず男子の意を受けて、ついに自らしか言うに至りたるものなるべし。
 小生のさらに考うるところによれば、仮に水をくむことが婦人の天職なりとしたところで、水道の給水法が完成せられて、どこの家においてもネジを一つひねればこんこんとして水があふれ出るという場合になれば、婦人の天職はほとんど無くなってしまうにあらずや。また仮に飯をたくことが婦人の天職としたところで、おいおい飯炊法が改良せられて、各戸別々にかまどを据えつくるは不経済のはなはだしきものということになり、一〇〇軒も二〇〇軒もが一緒になり、もしくは一町内、一村落が申し合わせて、大仕掛けの共同飯炊所を作るの日ありとすれば、数百人の細君が数人ずつかわるがわる飯炊当番になるとしても、わずかに一〇〇日に一度だけしかその天職を尽くしえざることとなるにあらずや。さり
前へ 次へ
全11ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堺 利彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング