いるのではないかと、わたしを責めたのであった。田添君の考え方からすれば、わたしは社会主義者であるのだから、たとい硬軟の別はあっても、田添君らと提携すべきであるのに、ただ友人として幸徳君らとはなはだ親密であるがために、アナキストと提携しているのは不都合だと言うのであった。
 しかしわたしとしては、幸徳君とは毎日毎晩、会えば必ず議論するというほどで、決して友情のために主義主張を曖昧《あいまい》にしてはいなかった。ただわたしとしては、できるだけ純真な○○的態度を維持せねばならぬと考え、それにはできるだけアナキストと提携を続けねばならぬと考え、議会政策に反対する理由はあっても、直接行動に反対する理由はないと考えていた。それでわたしはよくヂーツゲン(ディーツゲン)の言葉を引用して、社会主義と無政府主義の差異をできるだけ少なくすることに努め、社会主義はどこまでも無政府主義を包容していくべきだと考えていた。当時、直接行動派の元気な青年の中には、堺のおやじをなぐってしまえなどという者もあったそうだが、実際上、多くの人たちは社会主義と無政府主義の合いの子であった。山川君などもよほどヂーツゲン張りで、裁判
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