も仕方がない、やはり連れて行かれた。
この日の外面に現われた事柄はただこれだけだった。イタズラの張本人は大杉君で、荒畑寒村君なども参謀の一人だったろう。山川君も顧問くらいの地位に居たかしれない。赤旗というのは、二尺に三尺くらいの赤いカナキンを、短い太い竹ざおにゆわえつけたもので、一つには○○○(無政府)、一つには○○○○○(無政府共産)と白い布を切ってこしらえた五つの文字が張りつけられてあった。
当時の「分派」を言えば、その前年(明治四〇年)いわゆる大合同の日刊平民新聞が倒れてから以後、一方には片山潜、西川光二郎、田添鉄二らを代表とする議会政策派があり、一方には幸徳秋水、山川、大杉らを代表者とする直接行動派があった。そして前者は東京で社会新聞(一時は週刊)を出《い》だし、後者は大阪で(森近運平の経営で)大阪平民新聞(月刊、後に日本平民新聞)を出だし、さらに前者は後分裂して西川の東京社会新聞を現出した。
しかしわたし自身の見方から言えば、当時の分派は三派の対立であった。すなわち幸徳君らの無政府主義と、片山君らの修正主義と、わたしなどの正統主義であった。そのころ、イギリスの独立労働党
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