○○○れた。彼はまっぱだかで、廊下の石だたみの上に、仰向けに大の字に寝ていた。○○ならいくらでも○○、○○○○○○、とでも言ったような態度だった。巡査らはなおそれを○○たり、○○○たりした。皆はこうしの中から声を限りにののしりわめいた。○○○! ○○○! ○○! ○○!。巡査らはようやく少し態度を改めて大杉君を室内に入れた。皆が極度に興奮していたが、ことに荒畑君の興奮は容易に鎮静しなかった。巡査らは荒畑君をわたしの室に入れて、そして水を持って来た。わたしは荒畑君の頭を水で冷やした。向いの室では、小便に行くから戸をあけろあけろと怒鳴るが、巡査らは寄りつきもしなかった。そこでとうとう小便のはずんだ人たちは、こうしの中から廊下に向かってジャアジャアとやり出した。廊下は小便の池になってしまった。
それから皆は警視庁に移され、東京監獄(今の市ケ谷=いちがや)に移され、そして青鬼とあだ名された河島判事の予審に付せられた。罪名は官吏抗拒、および治安警察法違犯であった。公判の結果は、たかだが二カ月以上四カ月くらいなものだという見当だった。あんな何でもない、つまらん事件だもの、それ以上になりっこはないという、被告らの輿《よ》論だった。ところが意外にも、判決申し渡しは一年、一年半、二年の三種だった。それを聞いた時、わたしはほんとに「オヤ!」と思った。多くの被告は「無政府主義万歳!」を唱えて退廷した。婦人連のうち、二人は免訴となり、二人は執行猶予となった。
わたしは監獄に帰ってから考えた。二年ということになっちゃ、これはチョット冗談でない。俺はおまけに新聞紙法違犯で別に二カ月の刑をしょわされてる。これから二年二カ月! だいぶんシッカリしないと、やりきれないぞ。そう考えると、妙なもので、気分がスット引きしまってきた。勇気が出た。というよりはむしろ、落ちつきが出てきた。翌日からはモウ存外平気で、皆が申し合わせて控訴などいっさいやらぬことにし、そしてすぐに赤になって、「すずめおどりを見るような編みがさ姿」で千葉監獄に護送された。
ここに一つエピソードがある。我々が前記の錦町署の留置場を出たあとで、そこの板壁にある落書きの中に、何か知らんが「不敬」な文字が発見されたそうだ。そしてそれが佐藤君に対する嫌疑《けんぎ》となった。彼はそれがため、別に不敬罪として起訴された。我々はそのことを市ケ谷の
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