けれども、大体成熟の日取りになって、父が小首を傾けながら爪の先で弾《はじ》いて見る。コンコンカンカンというような響きの出る間は、まだ少し早い。「もうアサッテかシアサッテじゃろう」と言いながら、毎日弾いている中、少しボトボトという音がして来る、サアもうしめたというので、それをちぎる。大抵の場合、私の主張は父の意見に依って一日二日延ばされるのであった。さてそれからが大変で、それを食う日時が容易に決定されない。アシタにせよとか、アサッテにせよとか、毎日食うては悪いとかいう親たちの意見に依ってとかく私らの即時断行説が阻止される。それからいよいよ日時が決定されると、その日の早朝、あるいは前夜、その西瓜を細引でしばって井《いど》につける。午後になって、私らが学校から戻って来ると、その冷えきった西瓜が井《いど》から引上げられて、まず母の庖刀で真二つに切られる。グウ、グウという音がして、庖刀が西瓜の胴体に食いこんで行く時、果してそれの赤いか否か一刻も早く見究《みきわ》めようとして、私らが息を殺して覗《のぞ》きこむ。「オ! 赤いぞな!」と母がまず希望の叫びを揚げる。やがてグウグウ、ザクザクと、その胴体が
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