傍点]句が好きじゃ」と言っていた、もげた[#「もげた」に傍点]とは奇抜を意味する。ついでに少し後のことだが、私はある時、父から俳句で叱られた。「我が顔の皺を見て置け年の暮」これには実際ギクリと参った。
これも後に、「明月や畳の上の松の影」という古人の句を初めて見た時、なるほどハハアと、私は心の中で手を打った。曾てその通りの景色が豊津の家にあった。そしてそんな時、火を消してその月影の間に寝ころぶと言ったような趣味を、自然に父から養われていたのであった。
しかし父の最も得意とするところは、野菜つくりであった。私が今、私の少年時代における父の姿をしのぶ時、それは炬燵《こたつ》にあたっている姿か、さもなくば畑いじりの姿である。ことに、越中褌一つで、その前ごをキチンと三角にして、すっぱだかで菜園の中に立っている姿が、今も私の目の前に浮ぶ。五日に一度くらい働きにくる小六という若い百姓男を相手にして、父はあらゆる野菜物を作っていた。大根、桜島、蕪菜、朝鮮芋(さつま芋)、荒苧《あらお》(里芋)、豌豆《えんどう》、唐豆(そら豆)、あずき、ささげ、大豆、なた豆、何でもあった。茄子《なす》、ぼうぶら(か
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