ったが、元来が器用なたち[#「たち」に傍点]で、よく大工の真似をやっていた。大工道具はすっかり揃っていて、棚を釣る、ひさし[#「ひさし」に傍点]を拵えるくらいのことは、人手を借らずにズンズンやっていた。
学問はない方の人で、四書の素読くらいはやったのだろうが、ついぞ漢学なり国学なりの話をしたことがなかった。ただ俳諧は大ぶん熱心で、後には立机《りっき》を許されて有竹庵|眠雲《みんうん》宗匠になっていた。『風俗|文選《もんぜん》』などいう本をわざわざ東京から取寄せて、幾らか俳文をひねくったりしたこともあった。碁もかなり好きだし、花もちょっと活けていた。私も自然、その三つの趣味を受けついでいる。花の方は、別だん受けついだというほどでもないが、「遠州流はどうもちっと拵えすぎたようで厭じゃ。俺の流儀の池の坊の方がわざとらしゅう無《の》うてええ」というくらいの話を聞いている。そういうことは多少、私の処世上の教訓にもなったような気がする。碁について一つおかしいことがある。初めて私の家に碁盤が運びこまれた時、父はそれを余所《よそ》からの預かり物だと言っていた。しかし私らは、いつの頃からか、決してそれ
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