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  王陽明伝習録(第一巻)
 まずハイドマン氏の「社会主義の経済学」を読みながら、飽いて来ればチョイチョイと伝習録を読んで、二日三日と愉快に暮したが四日目ぐらいにははや両方とも読んでしまう。仕方がないからまた繰返して初めから読む。そうしているうちにある日教務所長の武田教誨師というが見えて、暫く予の房に入って閑談せられた。
 それで予は書籍のことを訴えたれば、丁度そのとき、予は独房におかれていたので、「独房の者には冊数の制限は入らぬ」とのことで、その翌朝早く、予の持って来た本を悉く下げ渡された。予はほとんどこおどりせんばかりに嬉しく感じた。モウ千人力どころではない。実に百万の味方を得た心地がした。予の持って来た本は前二冊のほか、左の七冊であった。
  Encyclopedia of Social Reforms(Bliss).
    Nuttall's English Dictionary.
    Progress and Poverty (Henry George).
    Truth(Zolla).
    The Twenty Century New Testament.
    王陽明伝習録(第二巻、第三巻)
 予はまずゾラの「真理」を読んだ。これは予がさきに抄訳した「労働問題」「子孫繁昌の話」とともに、ゾラ最終の三大作をなすもので、主としてドレフュース事件を仕組み、仏国ローマ教の害毒を痛罵し、初等教育制度改善の必要を叫んだものである。このごろロイテル電報などが毎度報じて来る、仏国の宗教教育法のことなども、この書によって始めて十分の意味がわかるようになった。予はこの書に慰められて五六日をすごしたが、その間たいてい毎日一度ずつぐらいは、シミジミと泣かされた。
 次に予はヘンリー・ジョージの「進歩と貧困」を読んだ。これまで拾い読みばかりしていたのを今度はじめて通読した。彼の文章の妙に至っては、ほとんど評する言葉を知らぬ。一面は文学的で、一面は科学的で、しかしてまた他の一面は宗教的である。勁抜の文、奇警の句、そのマルサス人口論を、論破するごとき、痛快を極め鋭利を極めている。
 次に予は新約の四福音書と使徒行伝の初めの方少しばかりとを読んだ。二十世紀訳は文章が今様になっているので我々素人には読みやすくて、まことによい。キリスト教に現われたる共産制度の面影等は殊に予の注意を惹いた。
 伝習録からはあまり得るところがあったとも思われぬ。ブリスの「社会改良百科字典」は、その題目の多きとその趣味の広きとにおいて、予の獄中生活を慰めてくれたこといくばくか知れぬ。殊に「犯罪学《クリミノロジー》」「刑罰学《ペノロジー》」などに関する多少の知識を、囚人として獄中に得たのは、深くこの書に謝せねばならぬ。
 ナッタルの字書の功労は今更いうにもおよぶまい。ある時のごときは退屈のあまり、この字書の挿画を初めから終まで一々ていねいに見てしまったことがある。

   一二 役、労働時間、工賃

 予はみずから役に就かなんだので、役の実際はよくわからぬが、何にせよ、七個の工場で種々なる労働をやっている。鍛冶屋もあれば靴屋もある。寝台をこしらえているものもあれば、ズックの靴をこしらえているのもある。足袋の底を織っているのもあれば、麻縄をよっているものもある。馬鈴薯やソラ豆をつくっているのもあれば、洗濯をやっているのもある。便所掃除のごとき汚い役まわりもあれば、炊所係のごとき摘み食いのできる役廻りもある。いずれもその才能、性情等に応じて申し渡されるので、異存を申し立てることは決して相成らぬ。時間は最も長いときで十時間半、最も短かいときで八時間半であったかと記憶する。そして各囚人にはそれぞれ定まった課程があって、それだけの仕事は是非させられることになっている。就役中は話もできず、休むこともできず、便所に行きたい時には手を挙げて許可を請うのだそうな、それから役には工賃が定まっていて、その十分の二三ぐらいは本人の所得となる。それで長期の囚人は百円も二百円も持って出るのがあるとのこと。

   一三 賞罰

 囚人が反則をすればすぐに懲罰に附される。懲罰の第一は減食である。減食といえば食物の量を三分の一ぐらいに減じられて、数日の間、チャント正坐させられる。それがつらさに首を縊る者が折々ある。平気な奴でも体重の一貫目くらい忽ち減る。
 それから減食でもこたえぬ奴は暗室に入れる。重罪囚で手に合わぬ奴には※[#「金+大」、第3水準1−93−3、57下−16]《だい》というものを施す。※[#「金+大」、第3水準1−93−3、57下−16]とはすなわち足枷である。それでもまだこたえぬ奴には、一二貫目もある鉄丸を背負わせるとのこと。
 賞としては一週間に一度か二度か食事に別菜がつく。そのほかには、湯に先に入れる、着物の新しいのを貸す、月一度と極った手紙を二度出させるなどの特待があるばかり。

   一四 理想郷

 さて、かく獄中生活の荒ましを語った上で、予をして更に少しく監獄なるものの全体を観察せしめよ。
 監獄はまずその建築が堅牢である。宏壮である。清潔である。棟割長屋に住むものより見れば、実に大厦高楼の住居といわねばならぬ。衣服夜具のごときも、ほぼ整頓している。冬期においてはもちろん非常の寒さにも苦しむには相違ないが、さりとて常に襤褸をまとい、或はそれすらもまとい得ざるものより見れば、実にありがたき避寒所といわねばならぬ。食物も悪いには相違ないが、塵だめをあさる人間あることを思えば、必ずしも不平はいわれぬ。何にせよ、監獄は衣食住の平等と安全とにおいて、遙か社会より優っている。
 監獄の住民はこの平等にして安全なる衣食住の間に、電灯鉄道蒸汽等種々なる文明の利器を利用して、各その才能性情に応ずる分業をなし、ほぼ共同自治の生活をなしている。況んや心身の疾病のためには、病院もあれば教会もある。ほとんど何不足なき別社会といわねばならぬ。
 かく見来るときには、監獄は実に一種の理想郷である。予が休養のため理想郷に入るといったのも、またけっして嘘ではなかった。しかしながらまた、この理想郷を他の一面より見るときは全く別種の観が眼前に現われて来る。

   一五 看守

 監獄の住民は囚人ばかりではない。ほかに看守というものがある。看守は囚人を戒護する官吏であるが、その境遇の気の毒さは決して囚人に劣るものではない。ある老看守はかつて予に語っていわく、「午前三時に起きて、三時半に家を出て、四時に監獄に着いて、四時半から勤務しはじめて、一時間半ごとに三十分ずつ休憩して、午後六時半の閉監まで勤務して、それからあと仕舞をして家に帰ると七時半ぐらいになる。靴も脱がずに縁側に腰かけていると、ホンの暫くの間だけわが家の庭の景色を薄光に見ることができる。湯などにはめったにゆく暇がない、二週間に一度の休みはたいがい寝て暮します」と。しかして彼らの俸給は僅々十二円か十五円にすぎぬのである。
 看守と囚人とを別々に見れば、共に気の毒なる境遇の人々であるが、さてこの二人種の関係を考えてみれば、滑稽といおうか、馬鹿馬鹿しいといおうか、更にこれを悲惨といおうか、予はこれを評するに言葉を知らぬ。

   一六 出獄前の一日

 出獄の前日には満期房というのに移される。ここには明日自由の身となるべき窃盗氏、詐欺氏、カッパライ氏、恐喝氏、持逃げ氏などが集まって来る。いよいよ今日きりの一昼一夜を暮しかね明しかねて、様々の妄想を逞うしながら馬鹿話に耽っている。
 まず一人ずつ呼出されて教誨師の説諭をうける。教誨師も一向気の乗らぬ調子で役目柄だけのお茶をにごす。囚人はただハイハイとお辞儀をして、房に帰って舌を出す。そして何を話すかと聞いていれば、食いたい、飲みたい、遊びに行きたい、たいがいはまずそれである。最も良心の鋭敏な奴が「モウとても真人間にはなられない」と嘆息する。「これがドウしても止められないとは何たる因果な男だろう」とひとりで笑っているのもある。最も思慮分別ありげな奴の言葉を聞けば、「いっそヤルなら大きなことをやるか、それでなくちゃスッパリ止めるのだ。」多くの奴はテンデ止めるの止めないという問題は起しておらぬ。
 予が最も趣味多く感じた一話がある。あるカッパライの大将いわく、「小僧の二人も内にかくまっておけば、その日その日に不自由をすることはないぜ、鰹節がなくなれば鰹節をさらって来るし、炭がなくなれば、炭をさらって来るし、ホントに便利なもんだ。それに彼奴ら義理が堅くてとッつかまってもめったにボロを出しゃしないや。いつやら兄さんも一しょに来い来いというからついて行って見ると、ある宮の境内にきて、兄さんお酒が好きだから今にもって来てやる、ここに待っていろという。暫くするとビールを二本さげて来た。コップがないというと、またはしりだして今度はガラス屋からコップを一つさらって来た。ホントにおかしいように便利なもんだぜ。」

   一七 獄中の音楽

囚人半月天を見ず。
囚人半月地を踏まず。
されど自然の音楽は、
自由にここに入り来る。」
朝は朝日に雀鳴く。
わが妻来れ、チウチウチウ。
子らはいずこぞ、チュンチュンチュン。
ここに餌《えは》[#《えは》はママ]あり、チュクチュクチュク。」
夕は夕日に牛の鳴く。
永き日暮れぬ、モオオオオ。
務め終りぬ、モオオモオ
いざや休まん、モオモオモオ。」
夜は夜もすがら蛙鳴く。
人は眠れり、ロクロクロク。
世はわが世なり、レキレキレキ。
歌えや歌え、カラコロコロ。」
晴には空に鳶の声、
笛吹くかとぞ思わるる。
羽衣の袖ふりはえて、
舞うや虚空の三千里。
舞いすまし、吹きすます。
ピーヒョロリ、ピーヒョロリ。」
雨には軒の玉水の、
鼓打つかと思わるる。
緒を引きしめて気を籠めて、
打つや手練の乱拍子。
打ちはやし、打ちはやす、
トウトウタラリ、ポポンポン。」
ああ面白ろの自然かな。
ああ面白ろの天地かな。」

   一八 出獄雑記

 六月二十日午前五時、秋水のいわゆる「鬼が島の城門のような」巣鴨監獄の大鉄門は、儼然として、その鉄扉を開き、身長わずかに五尺一寸の予を物々しげにこの社会に吐き出した。
 久しぶりの洋服の着ごころ甚だ変にて、左の手に重たき本包みをさげ、からだを右にかたむけながらキョロキョロとして立ちたる予は、この早朝の涼気のなかに、浮びて動かんとするがごとき満目の緑に対して、まず無限の愉快を感じた。
 ようやく二三歩を運ぶとき、友人川村氏のひとり彼方より来るに遭うた。相見て一笑し、氏に導かれて茶店に入った。あああ、これで久しぶり天下晴れて話ができる。
 間もなく杉村縦横君が自転車を走らせて来てくれた。つづいては筒袖の木下君、大光頭の斎藤君などを初めとして、平民社の諸君、社会主義協会の諸君などが二十人あまり押寄せた。最後に予の女児真柄が、一年五個月の覚束なき足取にて、隣家のおばさんなる福田英子氏と、親戚のおじさんなる小林助市氏とに、両手をひかれながらやって来た。予は初めて彼が地上を歩むを見た。そして彼はすでに全く予を見忘れていた。
 かく親しき顔がそろうて見れば、その中に秋水の一人を欠くことが、予にとっては非常の心さびしさであった。彼はその病床より人に托して、一書を予に寄せた。「早く帰って僕のいくじなさを笑ってくれ」とある。笑うべき乎、泣くべき乎。一人は閑殺せられ、一人は忙殺せられ、而して二個月後の結果がすなわちこれであるのだ。
 予はそれより諸友人に擁せられて野と畑との緑を分け、朝風に吹かれながら池袋の停車場に来た。プラットフォームに立ちて監獄を顧み、指点して諸友人と語るとき、何とはなしに深き勝利の感の胸中に湧くを覚えた。
 新宿の停車場に降りれば、幸徳夫人が走り寄って予を迎えてくれた。停車場より予の家まで僅か四五丁であるが、その道が妙に珍しく感じられる。加藤眠柳君から獄中に寄せられた俳句「君知るや既に若葉が青葉した」とあったのがすなわちそれだ。わが家に入
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