署名人、恐喝取財の日出新聞記者、自殺幇助(情死未遂)の少年、官文書偽造の中学校書記、教科書事件の師範学校長、同上高等女学校長、元警部某、馬蹄銀事件の某々らであった。軽禁錮二個月の我輩なんどは幅のきかぬこと夥だしい。

   八 一日の生活

 さて、ここに一日の生活を叙せんに、まず午前[#底本は午後と誤植]五時(六月以後は四時半)に鐘が鳴る。それを合図に飛び起きる。蚊帳をたたむ、布団をたたむ、板の間を掃く、雑巾をかける。そうする中に看守が「礼ッ!」をかける。皆々正坐して頭を下げる。「千九百九十号」「千八百五十三号」などと番号を呼び立てる。「ハイ」と返事をしながらシャッ面を上げる。それがすむと塩で歯を磨いて顔を洗う。塩は毎朝寝ている中に看守が各房に入れて歩く。水は本監ではパイプから出ることになっているが、ここでは当番の者が近所の井戸から汲んで来て配ることになっている。
 しばらくすると飯になる。本監では廊下に出て、看守の突立った靴の前に坐って食うのだから、甚だ不愉快に感じたが、ここでは膳を房に入れるので、殊に房の床が廊下よりズット高くなっているので、その不愉快は少しもなかった。
 食事がすむと小楊枝を使いながら正坐する。小楊枝は月に一二本ずつ渡される。正坐というのはチャンと膝をくずさず坐ることで、食後一時間は畏まっておらねばならぬ。板張りの上に莚を一枚敷いてその上に畏まるのだから、ずいぶん足が痛くなる。
 食後一時間たつとみな胡坐をかく、これを安坐という。それから重禁錮の者は仕事にとりかかり、我々軽禁錮の者は本でも読む。しかし本という奴がソウソウ朝から晩まで読みづめにせられるものでもなし、退屈する、欠伸が出る。ヒソヒソ話をする、馬鹿口をたたく、悪戯をする、便所に行く、放屁をする、鼻唄を歌う、逆立ちをする、それはそれは様々なことで日を暮す。もちろん看守の目を忍んでやるので、時々は見つけられて叱られる。もっとも、これは我々軽禁錮および換刑の者のことで、役に就いている者はかえって日が暮しやすい。そこで軽禁錮の者でも、自ら願うて役に就くのが少なくない。永島永洲君からの見舞の端書に、「永き日を結跏の人の坐し足らず」という句があったが、我々凡夫、なかなかそんなわけに行かぬ。そこでいろいろな妄想空想で、僅に、自ら慰めることになる。
「チョイト、チョイト、旦那おあがんなさい。」「品川さん、[#「、」は底本では脱落]大森さん、川崎さん、おあがんなさいよ。」(これは自分達が赤い着物を着て格子の前に坐っているところから、自分達を女郎に見立ててのざれ言)
「ヘイ、今日はよろし、魚源でござい、お肴は鯛に鰈に鮪の切身。」「ああそれじゃあ鯛を貰いましょう。片身おろしてお刺身にして下さい。しかし新しいかね、肴屋さん。」(これは後の障子と流し元の工合が、サモ台所口に似ているからの洒落)
「ああいい天気だな、今日はどこぞ遊びに行こうか。」「そうさなァ、上野から浅草にでも出かけようか。」「だが遠方に行くのは大儀だな。それよりかやっぱりあの桐の木の下でも散歩しようか。」「そうさ、それもいいな。じゃマア今日は出かけるのはよそう。」(これは午後の運動の事をいったので、後にわかる)
「あなた今夜のお菜は何にしましょう。」「なんぞサッパリしたものがいいなァ。」「じゃァやっぱりいつもの沢庵と胡麻塩にしておきましょうね。」
「ああ天ぷらが食いたい。」「おれはタッタ一つでいいから餅菓子が食いたい。」「何も贅沢はいわないが、湯豆腐か何かで二三杯やりたい。」
「これで碁盤の一つもあれば別に退屈はしないがなァ。」「そしてチョイとビールの一本も出て来るとなァ。」「そして林檎かビスケットでもあるとなァ」「そしてお一つ召しあがれなとか何とかいって美しいのが一人も現われて来りゃ申し分なしだろう。」「ハハハハハ、どこまで贅沢をいうか知れたものじゃない。」
 こんな馬鹿なことをいっているうちに昼飯になる。昼の菜の当てッこをしたり、昼の菜の一覧表をつくったり、そんなことも消閑の一策になっている。昼飯は十一時で、天気がよければ十一時半から十二時まで運動がある。これは定役のない者、および監房にて役を執る者に限るので、工場に出て役を執る者には許されぬ。
 運動は監の周囲にある桐の木の下だの、小松原の芝の上だのを歩くので、やっぱり厳重なる監督の下に、一列になってグルグルまわるのだが、それでも話のできぬことはなし、おりおりは立止って蟻の戦争など見物することもある。何にせよ運動は一日中の一大愉快で、雨の三日もつづいた揚句は殊にそうだ。
 運動後はまた、馬鹿話やらいねむりやらで夕方になる。「もう何時だろう」「今の看守の交代が四時半だろう」「じゃあモウ三十分で飯だ」などという問答は、たいがい毎日同じように繰返される。それから「僕はあとがタッタ百三日だ。わけはない」「乃公は今日がちょうど絶頂だ、明日から下り坂だ。タワイない」「君はモウ一週間で出るのだな」などと、たいがい毎日刑期の勘定がある。
 夕飯後にまた点検があって、安坐鈴が鳴る。薄暗い電灯がとぼる。それから二時間ばかりまた退屈すると、八時になって就寝鈴が鳴る。そら来た!と大騒ぎで柏餅がゴロゴロと並ぶことになる。これがまあザット一日の生活だ。ある夜、夜中に目がさめて左のごとき寝言ができた。
  隣室の鼾に和して蛙鳴く
  紫の桐花の下や朱衣の人
  桐の花囚人看守曽て見ず
  行く春を牢の窓より惜しみけり
  永き日を「御看守様」の立尽す
  正坐しても安坐しても日の長き哉
  永き日をコソコソ話安坐する
  夕ざれば監房ごとの放屁かな
  正坐して自慢の放屁連発す
  寂しさに看守からかう奴もあり
  看守殿退屈まぎれに叱る也
  「本職」は昨日拝命したばかり
  「本職」という時髯をひねる也
  看守部長とかく岩永になりたがり
  是はまた重忠張りの看守長
  教誨師地獄で仏の格で行き
  教誨師袈裟高帽のおん姿
  教誨師お前さんはと仰せらる
  其方はなどと看守の常陸弁
  永き日を千九百九十の坐睡す

   九 入浴、散髪、面会、手紙

 入浴はまた獄中生活の愉快の一つで、およそ一週間に一度、或は四五日ぶりに一度ずつ許される。
 今日は入浴だというと、みな嬉しがってソワソワしている。時刻が来ると、いずれも手拭を帯にさげて、庭下駄をはいて監の前に出て、五人ずつ並んでシャがむ。「立て! 進め!」で浴場に向って進む。浴場まではザット二町ばかりある。「列を乱してはイカン」「キョロキョロとよそ見をするでナイ」「話をしてはイカン」「手を振ってはイカン」などと絶えず叱られながら、とにかく浴場の前に着く。また並んでシャがむ。それから一列になって、二十人ばかりずつ二組になって浴場に入る。浴場は煉瓦作り、浴槽はタタキでかなりに大きい。湯は蒸気で湧かすことになって、寒暖計まで備えつけてある。我々はイツも一番にはいらせられるので、清潔な点においては申し分なかった。「脱衣!」「入浴!」などの不思議な号令の下に、五六人ずつ列をつくって一番、二番、三番、四番と、二十人あまり一しょにはいる。それから今度は、一方の壁にズット並んでとりつけてあるパイプの下に行って、銘々に頭と顔とを洗う。しかしその水は甚だ払底で、儀式ばかりのようなものではあるが、何にせよ、我輩らの住んでいる角筈あたりの湯に比べると結構なものだ。
 散髪もまたチョットよい気ばらしになる。これは、たいがい二週間に一度くらいのようだ。床屋さんももとより囚人である。湯屋の三助も、医者の助手(看護夫)も、みなやはり囚人だからおかしい。
 床屋がまわって来て廊下に陣をとると、一房から十房まで順々に出かけて刈ってもらう。バリカンでただグルグルとやるのだから雑作はない。もちろん顔も剃ってくれる。特に髭を蓄えることを願う者には許しておく。フケトリと鋏も、そこにおいてある。それで爪でも摘みながら見張の看守と話でもしているときには、獄中生活も存外趣味のあるものだ。
 面会は囚人にとって非常に愉快のことであるが、あまり再々人が来ると一々には許されぬ。手紙は大概のものは見せられる。百穂君の絵葉書だけは一枚きりしか見せられなんだ。それから中村弥二郎君が予の無聊を慰めんとて、昔話を書いた葉書を寄こされたが、それは「不得要領につき不許」という附箋がついて、出獄のときに渡された。獄中ではただ無事(或は単調)に苦しむのであるから、手紙、面会、入浴、散髪、運動等、何でも少し変ったことがあれば非常に愉快に感ずる。

   一〇 食事当番

 今一つ気ばらしになったことは、四五日ぶりに一度ずつ食事当番がある。他の監では役夫というものがあって、それが食事の世話やら掃除やらするのであるが、我々の監には無定役囚が多いので、別に役夫はおかずに、その無定役囚の中から、代り代り食事の当番を出すことになっていた。
 当番は二人あるいは三人で、まず炊所から運んで来た飯や菜を盛りわけて膳立てをする。鐘が鳴るとそれを各房に配る。食事がすむとあと片づけをする。水を汲んで来て膳碗を洗う。洗物がすむと廊下を掃く。それを一日に三度繰返すのでなかなか風流なものです。まだそれから食事の世話のほかに、流し口の掃除、裏庭の草取りなど、やらせられるときもある。存外おもしろいものです。甚だしきは、みなの者を運動に出す世話をするために、草履箱から草履を出して各房の前に並べてやり、運動が終れば、またその草履を集めて箱に入れてやることもある。これらはズンと風流なものです。

   一一 眼鏡、書籍

 最初予の一番困ったのは眼鏡をとられたことである。もっとも眼鏡がなくてはなんにも見えぬというほどでもないが、十一度ばかりの近眼で、十余来年寝るときのほか、かってはずしたことのない最親最愛の眼鏡であるから、いま忽然とそれと別れた不愉快は非常である。すぐあとで下げ渡してやるといわれた言葉を楽しみにしていたが、二三日たってヤット眼鏡下付願という手続ができた。モウ占めたと楽しんでいると、また二三日してやっと医者の視力検査があった。モウいよいよだと思うていると、また二三日してようやくのことで下げ渡された。
 親子再会とでもいうべき情合で、ただ何となく嬉しく心にぎやかで、かけて見たりはずして見たり、息を吹きかけて拭いて見たりしているうち、どうも少し右の玉のゆがんでいるのが気に食わぬ。隣の人にもそれを見せて、ここを少しコウ曲げて、などといいながら、こわごわ撓めているとき、脆や、ポキリとまんなかの金が折れた。サアしまった! こんな弱ったことはない。「見しやそれとも分かぬ間に、雲かくれにし夜半の月」「たまたま会いは会いながら、つれない嵐に吹きわけられ」失望落胆、真にたとえるにものがなかった。茶碗の破れたのすらつぎあわせて見るのが人情だから、いろいろとやっては見たが、金と金とのつぎ目の折れたのは、指先ばかりではどうにも仕様がない。それでも何とか法のないものかと、様々にいじっているうち、これを糸で結びつけてはという智慧が出た。それから着物の裾のシツケ糸をぬいて、それを二重によりあわせて、ともかくも結びつけた。鼻の上にかけてみると少々工合は変だけれど、物を見るに差支えはない。ああ真にこれで助かった!
 眼鏡の待遠かったよりも、更に一層待遠かったのは書籍であった。初日、二日目、三日目、ようやく落つくと同時に退屈する。欲しいほしいはただ書籍である。書籍は教誨師先生よしよしと受込んだきりで容易に運んでくれぬ。一週間あまりすぎてからヤット二冊だけ渡された。
 書籍は同時に二冊以上は見せぬという定めだそうな。役のある人ならば、日曜のほかには一日に一二時間しか読書の暇はないのだから、二冊という制限もよいか知らぬが、朝から晩まで本ばかり読む人に、タッタ二冊とは情ない。
 しかしマア二冊にせよ本は来たし、こわれたにせよ眼鏡はある。モウ千人力だという心地がした。二冊の本は、
  Hyndman : Economics of Sociali
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