驍オた。二個の病客が床を敷き並べて相顧みて憮然たるところ百穂君か芋銭君かに写してもらいたいような心地がした。
二十八日 ようやく下痢がとまった。粥を食い、刺身を食い、湯に入る、甚だ愉快。
(附) 園 遊 会 の 記
六月二十六日午前九時より堺生[#底本は「塀生」と誤植]の出獄歓迎を兼ねて園遊会が開かれた。……場所は、角筈十二社の池畔桜林亭である。……幸いに曇天で、……来会者は男女合せて百五十余名の多きに達した。……安部磯雄氏発起人総代として開会の趣旨を述べ、その中に「本日の会合はもとより堺氏出獄の歓迎を兼ねてでありますが、実をいえば、牢にはいるということは社会主義者にとりては普通のことでありますから、もしわが党の士のなかに出獄者あるごとに歓迎会を開くこととすれば、今後何百回ここで歓迎会を開かなければならぬかも知れぬ。で、私は今日の会も堺氏の出獄を期して、われら同志友人がここに一日の園遊会を開いたという風に思い」たいと語った。……
(発起人の一人)
(安部氏のこの意見は、当時としては、誠によく見透しのついた、適切な警告であった。――堺生)
[#地より2字上がり](一九一一年
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