の下に行って、銘々に頭と顔とを洗う。しかしその水は甚だ払底で、儀式ばかりのようなものではあるが、何にせよ、我輩らの住んでいる角筈あたりの湯に比べると結構なものだ。
 散髪もまたチョットよい気ばらしになる。これは、たいがい二週間に一度くらいのようだ。床屋さんももとより囚人である。湯屋の三助も、医者の助手(看護夫)も、みなやはり囚人だからおかしい。
 床屋がまわって来て廊下に陣をとると、一房から十房まで順々に出かけて刈ってもらう。バリカンでただグルグルとやるのだから雑作はない。もちろん顔も剃ってくれる。特に髭を蓄えることを願う者には許しておく。フケトリと鋏も、そこにおいてある。それで爪でも摘みながら見張の看守と話でもしているときには、獄中生活も存外趣味のあるものだ。
 面会は囚人にとって非常に愉快のことであるが、あまり再々人が来ると一々には許されぬ。手紙は大概のものは見せられる。百穂君の絵葉書だけは一枚きりしか見せられなんだ。それから中村弥二郎君が予の無聊を慰めんとて、昔話を書いた葉書を寄こされたが、それは「不得要領につき不許」という附箋がついて、出獄のときに渡された。獄中ではただ無事(或
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