の中に入つてゐた。
『どうして正覺坊はお酒飮なの、お母さん』
『阿父さんに訊いてごらん』
『どうして正覺坊はお酒飮なの、阿父さん』
『さアテ、なア、……』
『どうして正覺坊を、折角とつたのに』
『さアテ、……』
 漸く一段落ついた所で私は妻に言つた。
『いゝ香具師《やし》もつかなかつたと見えるな』
『さうでせうとも、……、早く逃がしてやればいゝのに、慾張たちが』
 逃がす、といふ言葉がなぜだかふつ[#「ふつ」に傍点]と私に例の姿を想ひ出させた、何處か其處らの海の中をせつせといま泳いでゐるであらうその姿を。

   鴉

 松原の幅が約二百間、西の海に面したそのはづれからかなり急な傾斜で五六十間あまりもなだれて行つてゐるのが濱である。千本濱といひ千本松原といふと優しく聞えるが、なか/\大きな松原であり、荒い濱である。
 この正月ころからめつきり身體に出て來た酒精中毒のために旅行はおろか、町までへの外出をもようしなくなつた私にとつてこの松原と濱とは實にありがたい散歩場所であるのである。それも少し遠くまで歩くと動悸が打つので、自分の家に近いほんの僅かの部分を毎日飽くことなく一二度づつ歩いてゐ
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