漁師の一人がその甲良を撫でながら言つた。
『さア、玳瑁ならたえしたもんだが、たゞの龜づら』
 なぜ此處に來たらうといふのがまた問題になつた。どうせ八丈か小笠原島から來たであらうが、卵を産みに來たでは遠すぎるし、何に浮れて出て來たか、『酒でも御馳走になりに來たづらよ』などと、半裸體の漁師たちも子供の樣になつて浮れてゐた。
 龜の首を伸ばすのを待つては子供たちはその口へ木片などを押し込んだ。かなりの大きいものも、ぽき/\と噛み折られた。中には石ころを噛ませる者もあつた。廿歳にも近からう大きな惡童は腹にとび乘り、右左に踏み動かして、誰だかに叱られた。
 見物人が追々と集つた。逃がすか逃がさないかの相談が持ち出されたのでその結果が聞きたく私も暫らくその中に立つてゐたが、そんな姿をいつまでも見てゐるのが不愉快で、聞き流して立ち去つた。そして浪打際の網の方へ行つてみた。
 みな龜に集つて、網の跡始末をしてゐるのはほんの二三の老人たちであつた。濡れた砂の上には網からあけられたしらす[#「しらす」に傍点]が笊《ざる》に四五杯置き竝べてあつた。生絹《きぎぬ》のきれはしの樣なこの小さな透明な魚たちはまだ生きてゐて、かすかにぴしよ/\と笊の中で跳ねてゐた。
 その翌日の夕飯の時である。濱から歸つて來たといふ三人の子供たちが、がや/\とお膳に押し並んでゐた。そして私が自分の膳につくのを見るや否や、
『阿父さん、僕また龜を見て來た』
 と末の子が言つた。
『ふうちやん、違ひますよ……』
 と次の姉は一寸考へてゐたが、今度は私に向つて、
『阿父さん、あれは正覺坊《しやうがくばう》ですつて、龜ぢや無いんですつて』
『ほゝウ、正覺坊か』
 と何か知ら驚いた樣な氣持で私は返事したが、やがてわれともなく、
『ふゝうん』
 と附け足した。
『正覺坊だつて?』
 それを聞いたか濡手をふきふき子供たちの母が勝手から出て來た。
『丁度いゝや、阿父さんのお友達だから』
『なぜ、なぜ、なぜ正覺坊が阿父さんのお友達なの?』
 幼い姉弟はむきになつて母に問ひ寄つた。
『はゝア、解つた、お酒飮だろ、正覺坊は』
 一番上の中學一年生の兄が言つた。
『ア、さうだ、お酒を飮まして海んなかへ逃がしてやつたよ、いま』
 先刻の姉と今一人の姉とは競爭して言つた。
『さうか、逃がしてやつたか、それはよかつた』
 父も苦笑しながら話
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