千三百尺、山塊全體もさう大きなものではないが、切りそいだやうに聳えた大きな岩壁、それらの間に刻み込まれた溪谷など、とにかく眼に立つ眺めを持つて居る。それにさうした岩山に似合はず、不思議によく樹木が育つて、岩壁や裂目にまで見ごとな大木が隙間もなくぴつたりと立ち茂つてゐる。この樹木の繁いことが少なからずこの山の眺めを深くもし大きくもしているのである。多く杉檜等の針葉樹であるが、間々この山獨特の珍しい草木もあるとのことである。
 南面した山の中腹に鳳來寺がある。推古天皇の時僧理修の開創で、更に文武天皇大寶年間に勅願所として大きな堂宇が建立されたのださうだ。その後源頼朝もいたくこの寺の藥師如來を信仰して多くの莊園を奉納し、下つて徳川廣忠は子なきを患ひて此所に參籠祈願して家康を生んだといふので家光家綱相續いて殿堂鐘樓樓門その他山林方三里、及び多大の境地を寄附し、新に家康の廟東照宮を置き一時は寺封千三百五十石、十九ヶ村の多きに上つたといふことである。(加藤與曾次郎氏著『門谷附近の史蹟』に據る)ところが明治の革新に際し制度の變遷から悉く此等の寺封を取除かれ、その上明治八年及び大正三年兩度の火災で本堂
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