出した。誰一人ひとに会はない。歩きつ休みつ、一時間あまりもたつた頃、森を出外れた。そして其処に今までのいづれよりも深く湛へた静かな湖があつた。精進湖である。客も無からうにモーターボートの渡舟が岸に待つてゐた。快い速さで湖を突つ切り、山の根つこの精進村に着いた。山田屋といふに泊る。
十月三十日。
宿屋に瀕死の病人があり、こちらもろくろくえ眠らずに一夜を過した。朝、早く立つ。
坂なりの宿場を通り過ぎると愈々嶮しい登りとなつた。名だけは女坂峠といふ。堀割りの様になつた凹みの路には堆く落葉が落ち溜つてじとじとに濡れてゐた。
越え終つて渓間に出、渓沿ひに少し歩き渓を渡つてまた坂にかゝつた。左右口峠《うばぐちたうげ》といふ。この坂は路幅も広く南を受けて日ざしもよかつたが、九十九折の長い/\坂であつた。退屈しい/\登りついた峠で一休みしようと路の左手寄りの高みの草原に登つて行つてわたしは驚喜の声を挙げた。不図振返つて其処から仰いだ富士山が如何に近く、如何に高く、而してまたいかばかり美しくあつたことか。
空はむらさきいろに晴れてゐた。その四方の空を占めて天心近く暢びやかに聳え立つてゐる山嶺
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