お騒がせしました」
 とわたしは頭を掻いた。
 其処へ荷馬車挽きも起きて来た。
 煙草を二三本吸つてゐるうちに土間の障子がうす蒼く明るんで来た。顔を洗ひに戸外《おもて》に出ようとその障子を引きあけて、またわたしは驚いた。丁度真正面に、広々しい野原の末の中空に、富士山が白麗朗と聳えてゐたのである。昨日はあれをその麓から仰いで来たに、とうろたへて中村君を呼び起したが、返事もなかつた。
 膳が出たが、わが相棒は起きて来ない。止むなく三人だけで始める。今朝は炬燵を作りその上で一杯始めたのである。霧は既に晴れ、あけ放たれた戸口からは朝日がさし込んで炬燵にまで及んで居る。
 そしていつの間に出て来たものか[#「来たものか」は底本では「来もたのか」]、見渡す野原も、その向う下の甲州地も一面の雲の河となつてしまつた。富士だけがそれを抜いて独りうらゝかに晴れてゐる。二三日前にツイこの向うの原で鹿が鳴いたとか、三四尺の雪に閉ぢこめられて五日も十日も他人の顔を見ずに過す事が間々あるとか、丁度此処は甲州と信州との境に当つてゐるのでこの家のことを国境といふとかいふ様な話のうちに、おとなしく朝食は終つた。
 困つ
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