なつて来た。三里も歩いた頃、長沢といふ古びはてた小さな宿場があつた。其処で昼をつかひながら、この宿場にあるといふ木賃宿に泊る事をわたしは言ひ出した。が、今度は中村君の勢ひが素晴しくよくなつた。どうしても予定の通り国境を越え、信州野辺山が原の中に在る板橋の宿《しゆく》まで行かうといふ。
 我等のいま歩いてゐる野原は念場が原といふのであつた。八ヶ嶽の南麓に当る広大な原である。所所に部落があり、開墾地があり雑草地があり林があつた。大小の石ころの間断なく其処らに散らばつてゐる荒々しい野原であつた。重い曇で、富士も見えず、一切の眺望が利かなかつた。
 止むなく彼の言ふ所に従つて、心残りの長沢の宿《しゆく》を見捨てた。また、先々の打ち合せもあるので予定を狂はす事は不都合ではあつたのだ。路はこれからとろ/\登りとなつた。この路は昔(今でもであらうが)北信州と甲州とを繋ぐ唯一の通路であつたのだ。幅はやゝ広く、荒るゝがまゝに荒れはてた悪路であつた。
 とう/\雨がやつて来た。細かい、寒い時雨である。二人とも無言、めい/\に洋傘をかついで、前こゞみになつて急いだ。この友だとて身体の労れてゐない筈はない。大
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