幸ひに登りつくすと路は峰の尾根に出た。そして殆んど全部尾根づたひにのみ歩くのであつた。ために遠望が利いた。ことに峠を越え、武州地に入つてからの方がよかつた。我等の歩いてゐる尾根《をね》の右側の遠い麓には荒川が流れてゐ、同じく左側の峡間の底には末は荒川に落つる中津川が流れてゐた。いや、ゐる筈であつた。山々の勾配がすべて嶮しく、且つ尾根と尾根との交はりが非常に複雑で、なか/\其処の川の姿を見る事は出来なかつた。
やがて夕日の頃となると次第にこの山の眺めが生きて来た。尾根の左右に幾つともなく切れ落ちてゐる山襞、沢、渓間の間にほのかに靄が湧いて来た。何処からとなく湧いて来たこの靄は不思議と四辺の山々を、山々に立ちこんでゐる老樹の森を生かした。
また、夕日は遠望をも生かした。遠い山の峰から峰へ積つてゐる雪を輝かした。浅間山の煙だらうとおもはるゝものをもかすかに空に浮かし出した。其他、甲州地、秩父地、上州地、信州地は無論のこと、杳《はる》かに越後境だらうと眺めらるゝもろ/\の峰から峰へ、寒い、かすかな光を投げて、云ふ様なき荘厳味を醸し出して呉れたのである。
「ホラ、彼処《あそこ》にちよつぴり青いものが見ゆるづら、」
と老爺はうなづいて、其処の伝説を語つた。斯うした深い渓間だけに、初め其処に人の住んでゐる事を世間は知らなかつた。ところが折々この渓奥から椀のかけらや、箭の折れたのが流れ出して来る。サテ豊臣の残党でも隠れひそんでゐるのであろうと、丁度江戸幕府の初めの頃で、所の代官が討手に向うた。そして其処の何十人かの男女を何とかいふ蔓《かづら》で、何とかいふ木にくゝつてしまつた。そして段々検べてみると同じ残党でも鎌倉の落武者の後である事が解つて、蔓を解いた。其処の土民はそれ以来その蔓とその木とを恨み、一切この渓間より根を断つべしと念じた。そして今では一本としてその木とその蔓とを其処に見出せないのださうである。
日暮れて、ぞく/\と寒さの募る夕闇に漸く峠の麓村栃本といふへ降り着いた。此処は秩父の谷の一番つめの部落であるさうだ。其処では秩父四百竃の草分と呼ばれてゐる旧家に頼んで一宿さして貰うた。
栃本の真下をば荒川の上流が流れてゐた。殆んど真角に切れ落ちた断崖の下を流れてゐるのである。向う岸もまた同じい断崖でかえたつた山となつて居る。その向う岸の山畑に大根が作られてゐた。栃
前へ
次へ
全15ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング