たのはランプ部屋居士である。砂糖湯を持つて行き、梅干茶を持つて行き、お迎へに一杯冷たいのをぐいとやつて見ろとて持つて行くが、持つて行つたものを大抵飲み干すが、なか/\御神輿が上らない。「とても歩けさうにない、あのお荷物を頼みますよ」とわたしが言つたので荷馬車屋もよう立ちかねてゐる。六時から十時まで、さうして過した。「いつまでもこれでは困るだらう、お前さん先に行つて呉れ」
と荷馬車屋を立たせようとしてゐる所へ、蹌踉として起きて来た。ランプ部屋ではまだ何処やら勇ましかつたが、今朝はあはれ見る影もない。
早速出立、実によく晴れて、霜柱を踏む草鞋の気持はまさしく脳にも響く快さである。昨日はその南麓を巡つて来た八ヶ嶽の今日は北の裾野を横切つてゐるわけである。からりと晴れたこの山のいただきにうつすらと雪が来てゐた。
「大丈夫か、腰の所を何かで結《ゆは》へようか」
「大、丈、夫です」
と、居士は荷馬車の尻の米俵の上に鎮座ましまし、こくり/\と揺られてゐる。
野原と云つても多くは落葉松の林である。見る限りうす黄に染つたこの若木のうち続いてゐる様はすさまじくもあり、また美しくも見えた。方数里に亙つてこれであろう。
漸く歌を作る気にもなつた。
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日をひと日わが行く野辺のをちこちに冬枯れはてて森ぞ見えたる
落葉松は痩せてかぼそく白樺は冬枯れてただに真白かりけり
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二里あまり歩いてこの野のはづれ、市場といふへ来た。此処にも一軒屋の茶店があつた。綺麗な娘がゐるといふので昼食をする事にした。
其処より逆落しの様な急坂を降れば海の口村、路もよくなり、もう中村君も歩いてゐた。やゝ歩調を整えて存外に早く松原湖に着き、湖畔の日野屋旅館におちついた。まだ誰も来てゐなかつた。
程なく布施村より重田行歌、荻原太郎君の両君、本牧村より大沢茂樹君、遠く松本市より高橋希人君がやつて来た。これだけ揃うとわたしも気が大きくなつた。昨日一昨日は全く心細かつた。
夕方から凄じい木枯が吹き出した。宿屋の新築の別館の二階に我等は陣取つたのであつたが、たび/\その二階の揺れるのを感じた。
宵早く雨戸を締め切つて、歌の話、友の噂、生活の事、語り終ればやがて枕を並べて寝た。
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遠く来つ友もはるけく出でて来て此処に相逢ひぬ笑みて言《こと》なく
無
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