。玉をまろがすと言つては明るきに過ぎ、帛《きぬ》を裂くと言つては鋭きに過ぐる。無論、佛《ブツ》、法《ポウ》、僧《ソウ》などの乾いた音色《ねいろ》ではゆめさら無く、郭公、筒鳥の寂びた聲に較べては更に數段の強みがあり、つやがある。眼前に見る大きな山全體のたましひのさまよひ歩く聲だとも言ひたいほど、何とも形容する事の出來ない聲である。
『ア、啼く、啼く、……』
 私はいつか窓際にすり出て、兩手を耳にあて、息を引きながら聽き入つた。相變らず所を移して啼く。一聲二聲啼いては所を變へる。暫くも同じところに留らない。ともすれば、山そのものが動いてゐるかとも聞きなさるることすらある。
 私は膳を窓側の縁に移した。一杯飮んでは耳に手をあて、一杯飮んでは眼を瞑《つむ》つた。二三本も飮んだが、一向に醉はない。
『よう啼きますやろ。』
 宿のお婆さんが笑ひながらお銚子を持つて來た。流石に私もきまりが惡くなり、それを濟ますと床についた。
 この鳥の啼聲を文字に移し得ざる事を憾む。内田清之助博士著『鳥の研究』の中に「高野山中學校教諭榎本氏が幾年かに渉つて聞かれた所によれば次の如くである。」として、
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