庭さきの森の春
若山牧水

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)儘《まま》のを使つてゐる。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)たら[#「たら」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\の木が
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 濱へ出る漁師たちの徑に沿うたわたしの庭の垣根は、もと此處が桃畑であつた當時に用ゐられてゐた儘《まま》のを使つてゐる。杭も朽ち横に渡した竹も大方は朽ちはてゝゐるのであるが、其處に生えた篠竹やその間に匐《は》うてゐる蔓草のために辛うじて倒壞を免れてゐる。蔓草も幾種類か匐うてゐる樣であるが、通蔓草《あけび》が最も多い。そしていまその若葉と、若葉の間に垂れて咲いてゐる花とが、まことに美しい。花は初め袋なりにつぼんでゐるが、やがて小さく開く。色は淡い紫である。
 門を出てこの垣根に沿ひ十間も行くと、徑は森の間に入る。森の木深いところにもこの通蔓草は茂つてゐる。此處は樹木の背が高いだけ、あけびも高く伸び上つて、とりどりの木の梢からその蔓の先を垂らしてゐる。
 森の木はおほかた常盤木である。中でも犬ゆづり葉の木とたぶの木とが多い。たぶの木は玉樟とも犬樟ともいふので樟科の、その葉の匂なども樟に似た木である。犬ゆづり葉は同じくゆづり葉の木そつくりの木で、葉柄の紅いところまで同じである。たゞ葉が本當のゆづり葉より小さい。そのほかには椿、鼠冬青木《ねずみもち》、とべらなどの常盤木が混り、落葉樹には櫨《はぜ》、楢《なら》、楝《あふち》、其他名を知らぬ幾多の雜木がある。
 元來此處は潮風を防ぐために昔から設けられた大きな松原で、年を經た黒松が亭々として茂つて居り、その松の下草に右云うた樣ないろ/\の木が森を成してゐるのであるが、ともするとわたしは此處の松原である事を忘れ、此等雜木の密生してゐる森林とのみ思ふ事が多いのである。松も多いが、雜木は更に茂つて居る。
 此等の雜木を松の下草とするならば、雜木のための下草がまたあるのである。森の深い所ならば虎杖《いたどり》、齒朶《しだ》、少し木の薄い所には茅や芒である。それからこれはわたしは名を知らぬが面白い木がある。幹は眞書《しんがき》の筆の軸ほどで、せい/″\伸びて二尺か二尺五寸、繁々と幾本となく枝を張り、枝に
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