は細い刺を持つて居る。小さいなりにみな相當の樹齡を持つて居るらしく、枝ぶりがいかにも寂びてゐる。花は春の末に開き、こまかく白い。實は秋の頃より眞赤く熟れ、次の年の花が咲いてもなほ半は枝に殘つてゐる。南天の實の粒よりも更に小さくまんまるで、こまかい枝のあちこちにいつぱいに熟れてゐるところは誠に綺麗である。今、隨所の木の根がたに見られる。
 齒朶はたいへん森を深く見せる。まつたくこの海ばたの森にこれを見出した時はわたしは驚いた。これの茂みに入つて行つて立つてゐるとツイ其處に自分の住居があらうなどとは一寸考へにくい。
 今は虎杖《いたどり》の芽の萌ゆるさかりである。無論山の溪間などにあるやうな大きなのは見られないが、それでも親指位ゐのはある。これはこのまゝ喰べるもうまく、一二時間うすい鹽で漬けておくと珍重すべき漬物となる。たべものゝ話のついでゝあるが、わたしは昨日の夕方、一寸森に入つてたら[#「たら」に傍点]の芽を摘んで來た。味噌あへにして、獨りの晩酌のさかなには恰好であつた。
 虎杖を取らうとして森の木蔭に這ひ込んで驚くのは落椿である。椿は花期が永く、いつもなら十二月の末からぼつ/\咲き出して三月末まで續くのだが、今年は寒さのため咲くのが遲れ、今がまだ盛りといつてよい。この森の或る一部などはいまこの木の落花がそれからそれへと殆んどいちめんに散り敷いてゐる。元來椿の木はその木だけあらはに立つてゐるか、若しくは木立をなしてゐるものである。それが此處の森では他の常盤木に混つて數限りなく立ち續いてゐるのである。他の木を拔いて伸び出でて日向に咲いてゐるもあり、しつとりと木蔭に濕つて咲いてゐるのもある。
 椿のほかにいまこの森で目につく花は木苺である。漸う萌え出た柔かな葉のかげに純白色に咲いてゐる。幹がほそくしなやかで、風にゆれながら咲いて居る。
 楢《なら》の花、これは葉の芽生えより先に咲かうとするので、時には間違ひ易い。氣をつけて見れば野趣のある花である。
 が、何と云つてもこの森には常盤木が多く目につく。花をつける木は少ない。もう少したてば楝の花のむらさきが見られるが、まだ早い。そして、今は雜木の芽の美しい盛りである。
 殘念にもわたしはそれら雜木の名を知らない。知らないなりに三種五種とそれ/″\に美しいのを數へることは出來る。野葡萄の蔓の節々についた珠のやうな芽の美しさなど
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