うに顏をしかめながらも、美しく飮み乾して、直ぐ私に返した。そしてお兼から徳利を受取つて、またなみ/\と酌ぐ。私は次ぎにそれを姉のお米の方に渡さうとしたが、なか/\受取らぬ。身を小さくして妹の背中にかくれて、少しも飮めませぬと言つてる。千代はわざと身を避けて、
「一杯貰ひね、兄《あん》さんのだから。」
 と繰返していふ。面白いので私は少しも杯を引かぬ。
「では、ほんの、少し。」
 と終《つひ》に受取つた。そしてさも飮みづらさうにしてゐたが、とう/\僅かの酒を他の茶碗に空けて、安心したやうに私に返す。可哀さうにもう眞赤になつて居る。
 私は乾してまた千代にさした。一寸|嬌態《しな》をして、そして受取る。思ひの外にその後も尚ほ三四杯を重ね得た。私は内心驚かざるを得なかつた。
 でも矢張り女で、やがて全然《すつかり》醉つて了つて、例の充分に發達して居る美しい五躰《からだ》の肉には言ひやうもなく綺麗な櫻いろがさして來た。特に眼瞼《まぶた》のあたりは滴るやうな美しさで、その中に輝いてゐる怜悧さうなやゝ劒《けん》のある双の瞳は宛然《さながら》珠玉《たま》のやうだ。暑くなつたのだらう、切りに額の汗を拭いて、そして鬢《びん》をかき上ぐる。平常は何處やらに凜とした所のある娘だが、今はその締りもすつかり脱《と》れて、何とやら身躰がゆつたりとして見ゆる。そして自然口數も多くなつて、立續けにいろ/\の事を私に訊ぬる。いろ/\の事といつても殆ど東京のことのみで、嘸《さ》ぞ東京は、といつた風にまだ見ぬ數百里外のこの大都會の榮華に憧れて居る情を烈しく私に訴ふるに過ぎないのだ。人口一萬の某町に出るのにさへ十四里の山道を辿《たど》らねばならぬ斯んな山の中に生れて、そして、生中《なまなか》に新聞を見風俗畫報などを讀み得るやうになつてゐるこの若い女性の胸にとつてはそれも全く無理のない事であらう。
 私は醉に乘じて盛んに誇張的に喋りたてた。丁度私の歸つて來る僅か以前まで開かれてあつた春の博覽會を先づ第一の種にして、街の美、花の美、人の美、生活の美、あらゆる事について説いた/\、殆ど我を忘れて喋つた。また氣が向けば不思議な位話上手になるのが私の癖で、その晩などは何を言つても酒は飮んでるし、第一若い女を對手のことで、それに幾分自身と血の通つてゐる女であつてみれば、遠慮《えんりよ》會釋《ゑしやく》のといふことはてんで御無用、途方もなく面白く喋つた。
 聽手は勿論頭から醉はされて了つて、母とお兼は既う二三度も繰返して聽かされて居るにも係らず矢張り面白いらしく熱心に耳を傾けて居る。特に最初から私の話對手であつた千代などは全然當てられて、例の瞳はいよいよ輝いて、ともすれば壞《くづ》れやうとする膝を掻き合はせては少しづつ身を進ませて、汗を拭いて、一生懸命になつて聽き入つて居る。お米の方はさすがにこの娘の性質で、同じ面白相に聽いては居たやうだが、相變らず默然とした沈んだ風で、見やうによつては虚心《うつかり》してゐるものゝやうにも見ゆる。顏も蒼白くて、鈍く大きくそして何となく奧の深かり相な瞳のいろ。眼瞼をば時々重も相に開いたり閉ぢたりしてゐる。山家の夜の更けて行く灯の中に斯うしてこの娘が默然として坐つてゐるのに氣が附くと妙に一種の寂しい思ひがして、意味深い謎《なぞ》でもかけられたやうな氣味を感ぜずには居られない。
 語り終つて私は烈しく疲勞を覺えた。聽いて居る人もホツとしたさまで、一時に四邊《あたり》がしんとなる。僅かの薪はもう殆ど燃え盡きて居て、洋燈は切りに滋々《じじ》と鳴つて窓からは冷い山風がみつしりと吹き込んで來る。
 母は氣附いたやうに、兩人の娘に中の間に寢るか次ぎの座敷に寢るかと訊く。何處でもと姉。中の間に一緒がいゝ、二人だけ別に寢るのは淋しいからと妹が主張する。では押入から蒲團を出して、お前達がいゝやうに布くがいゝとのことで、兩人は床とりに座敷に行つた。それを見送り終つて、
「あの事で來たんでせう。」
 と低聲で私は母に訊いた。
「ア、左樣よ。」
「如何なりました、どうしても千代が行くんですか。」
「どうも左樣でなくてはあの老爺が承知をせんさうだ。あの娘はまたどうでも厭だと言つて、姉に代れとまで拗《す》ねてるんだけど、……姉はまたどうでもいゝツて言つてるんけど……どうしても千代でなくては聽かんと言つてる相だ。因業《いんごふ》老爺《おやぢ》さねえ。」
「まるで※[#「けものへん+非」、30−11]々《ひひ》だ。そんな奴だから、若い女でさへあれば誰だツていゝんでせう。誰か他に代理はありませんかねえ、村の娘で。」
「だつてお前、左樣なるとまた第一金だらう。あの通りの欲張りだから、とても取れさうにない借金の代りにこそ千代を/\と言ひ張るのだから。」
 如何にも道理な話で、私にはもう
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