それに應《こた》へることが出來なかつた。
 兩人の家はもと十五六里距つた城下の士族であつたのだが、その祖父の代にこの村に全家移住して、立派な暮しを立てゝゐた。が、祖父が亡くなると、あとはその父の無謀な野心のために折角の家畑山林悉く他手《ひとで》に渡つて、二人の娘を私の家に捨てゝおいたまま父はその頃の流行であつた臺灣の方に逐電したのであつた。そして二三年前飄然と病み衰へた身躰《からだ》を蹌踉《よろぼ》はせてまた村に歸つて來て、そして臺灣で知合になつたとかいふ四國者の何とかいう聾《つんぼ》の老爺を連れて來て、四邊の山林から樟腦を作る楠と紙を製《つく》るに用ふる糊の原料である空木《うつぎ》の木とを採伐することに着手した。それで村里からは一二里も引籠つた所に小屋懸けして、私の家で從順に生長《おほき》くなつてゐた兩人の娘まで引張り出して行つて、その事を手傳はしてゐた。所が近來その老爺といふのが二人の娘に五月蠅《うるさ》く附き纒ふやうになつて、特に美しい妹の方には大熱心で、例の借金を最上の武器として、その上尚ほその父親を金で釣り込んだうへ、二人一緒になつて火のやうに攻め立てた。それでどうか逃れやうはなからうかと一寸の隙《すき》を見ては私の母に泣きついて來たのであつた相なが、同じやうに衰頽《すゐたい》して來て居る私の家ではなか/\その借金を拂ひもならず、まア/\と當《あて》もなく慰めてゐたのであつたといふが、いよ/\今夜限りで明日の晩から妹は老爺の小屋に連れ込まれねばならぬことになつたのだ相な。
 それでも既《も》う今夜はあの娘も斷念《あきら》めたと見えて、それを話し出した時には流石《さすが》に泣いてゐたけれども、平常のやうに父親の惡口も言はず拗《す》ねもせずあの通りに元氣よくして見せて呉れるので、それを見ると却つて可哀相でと、母は切りに水洟《みづばな》を拭いてゐる。三人とも默然として圍爐裡の火に對して居ると、やがて兩人の足音がして襖が明いた。耐へかねたやうに妹は笑ひ出して、
「伯父さんが、ホヽヽヽヽヽ姉さんを、兄《あん》さんと間違へて、ホヽヽヽヽヽ。」
 蓮葉に立ち乍ら笑つて、尚ほそのあとを云はうとしたらしかつたが、直ぐ自身の事が噂せられた後だと、吾等《わたしら》の素振《そぶり》を見て覺つたらしく、笑ふのを半ばではたと止めて、無言にもとの場所に坐つた。私はそれを見ると耐らなく可哀相になつて來たが、何といつて慰めていゝのかも一寸には解らず、わざとその背後に立つてゐる姉に聲かけて、
「何だ、さも寒む相な風をしてるぢやないか。此方へおいでよ。」
 と、身を片寄せて微笑みながらいふと、同じく微笑んで、例の重い瞼を動かして私を見詰めてゐたが、やがて默つて以前坐つてゐた場所に座をとつた。
「どれ妾はもう寢よう。明朝はお前だちもゆつくり寢《やす》むがいゝよ。」
 と母は立上つて奧へ行つた。お兼もそれを送つて座を立つたので、あとは吾々若いものばかり三人が殘つた。
「兄《あん》さん。」
 と不意に千代は聲かけて、
「蒸汽《じようき》船は大へん苦しいもんだつてが、……誰でも然うなんでせうか?」
「それは勿論人に由るサ、僕なんか一度もまだ醉つたことは無いが……」
 云ひかけて、
「如何するのだ?」
「如何もせんけど……先日《こなひだ》本村《ほんむら》のお春さんが豐後の別府に行つてからそんなに手紙を寄越したから……」
 と何か切《しき》りに思ひ乍《なが》ら云つて居る。
「別府に? 入湯か?」
「イエ、機織の大きな店があつて、其處に……あの人は近頃やつと絹物が織れるやうになつたのだつたが……妾に時々習ひに來よりましたが……」
 談話は切れ/″\の上の空である。で、私は突込んだ。
「行くつもりかい、お前も!」
「イゝ[#「ゝ」はママ]エ!」
 と仰山に驚いて、
「どうして妾が行けますもんけえ!」
 と、つとせき上げて來たと見えて見張つた瞳には既う涙が潮《さ》して居る。
「ウム、大變なことになつたんだつてねえ、どうも……嘸《さ》ぞ……厭やだらう!」
 返事もせずに俯頭《うつむ》いてゐる。派手な新しい浴衣の肩がしよんぼりとして云ひ知らず淋しく見ゆる。まだ幾分酒のせゐが殘つてゐると見えて、襟足のあたりから耳朶《みみたぶ》などほんのりと染つてゐる。
「どうも然し、仕樣がない。全く思ひ切つて斷念《あきらめ》るより仕方がない。然しね、そんな場合になつたからと云つても、自分の心さへ確固《しつかり》して[#「して」は底本では「りして」]ゐたら、また如何とかならうから、そしたら常々お前の言つてたやうに豪くなる時期《とき》が來んとも限らん。第一非常の親孝行なんだから……」
 と言ひかけて、ふと見ると、袂を顏にひしと押當てゝ泣きくづれて居る。
 私はそれを見て、今強ひて作つて云つた慰藉《
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