ゐしや》とも教訓とも何とも附かぬ自分の言葉を酷《ひど》く耻しく覺えた。自己のもとの身分とか又は一家の再興とかいふことに對しては少女ながらに非常に烈しく心を燃やしてゐた彼女にとつては、今度の事件はたゞ單に普通の處女《むすめ》が老人の餌食《ゑじき》になるといふよりも、更に一種烈しい苦痛であるに相違ない。彼女は痛《ひど》く才の勝つた女で、屹度《きつと》一生のうちに郷里の人の驚くやうな女になつてやらねば、とは束の間も彼女の胸に斷えたことのない祈願であつた。才といつた所で、もとより斯んな山の奧で育てられた小娘のことなので、世に謂ふ小才の利くといふ位のものに過ぎなかつた。然し兎に角僅か十七八歳の娘としては不相應な才能を有《も》つてゐるのは事實で、それは附近の若衆連を操縱する上に於ても著しく表はれてゐるらしい。一つは田舍での器量好《きりやうよし》であるがためか隨分とその途の情も強い方で現に休暇ごとに歸つて來る私を捉へて、表《あら》はには云ひよらずとも掬んで呉れがしの嬌態をば絶えずあり/\と使つてゐた。然しあまりに私が素知らぬ振をしてゐるので、さすがに斷念《あきら》めたものか、昨年あたりからはその事も失くなつてゐた。そしてそれ以後は私の前では打つて變つて愼しやかに從順《おとなし》くなつてゐた。
 何時までも泣いて彼女は顏を上げぬ。私も續いて默つてゐた。爐の火は既に殆ど燃え盡きて厚い眞白の灰が窓からの山風にともすれば飛ばうとする樣で、薪形に殘つて居る。座敷の方で煙草盆を叩く音がする。母と老婢ともまた屹度《きつと》この哀れむべき娘のことに就いて、頼り無い噂を交はして居るのであらう。
 お米は妹の泣きくづれて居る側に坐つてゐて、別に深く感動したさまも無く、虚然《うつかり》と、否寧ろ冷然としてそのうしろ髮の邊を見下してゐる。その有樣を見て居ると、今更ながら私は何とも知らずそゞろに一種の惡感《をかん》を感ぜざるを得なかつた。兎角するうちとぼ/\足音をさせてお兼が入つて來た。私は立上つて土間に降りて、そして戸を開いて戸外に出た。
 戸外はまるで白晝《まひる》、つい今しがた山の端を離れたらしい十七夜の月はその秋めいた水々しい光を豐かに四邊の天地に浴びせて居る。戸口の右手、もと大きな物置藏のあつた跡の芋畑の一葉一葉にも殘らずその青やかな光《かげ》は流れてゐて、芋の葉の廣いのや畑の縁に立ち並んでゐる玉蜀黍《たうもろこし》の葉の粗く長いのが、露を帶び乍らいさゝかの風を見せてきら/\搖らいで居る。今までの室内を出て、直ぐこの畑の月光に對した私は一時に胸の肅然となるのを感じた。蟲の音が何處やらの地上からしめやかに聞えて來る。
 そのまま畑に添うて、やがて左手の半ば朽ちかゝつた築地《ついぢ》の中門を潛つて、とろ/\と四五間も降るとこの村の唯一の街道に出る。街道と云つたところで草の青々と茂つた道で、僅かに幅一間もあらうかといふ位ゐ、その前はあまり茂からぬ雜木林がだら/\と坂のままに續いてゐて、終《つひ》に谷となる。谷はいまこの冴えた月のひかりを眞正面《まとも》に浴びて、數知らぬ小さな銀の珠玉をさらさらと音たてゝうち散らしながら眞白になつて流れて居る。谷を越えては深い森林、次いで小山、次いではどつしりと數千尺も天空を突いて聳え立つ某山脈となつて居る。山も森も何れもみな月光の裡に睡つて水の滴り相な輪郭を靜かな初秋の夜の空に瞭然《はつきり》と示して居る。
 私は路の片側に佇んで、飽くことなく此等の山河を見渡してゐた。酒のあと、心を亂した後に不意に斯かる靜かな自然の中に立つて居ると、名の附けやうのない感情、先づ悲哀とでもいふのか、が何處からともなく胸の中に沁み込んで來る。果ては私は眼をも瞑つて宛も石のやうになつて立つてゐた。
 すると背後の中門の所から何時の間に來たのか、
「兄《あん》さん」
 と千代が私に聲かけた。
 返事はせずに振向くと、例の浴衣の姿が半ば月光を浴びてしよんぼりと立つて居る。
「兄《あん》さん、もう皆|寢《やす》みませうつて。」
「ウム、いま、行く。」
 と言つておいて私は動きもせず千代を見上げて居る。千代もまたもの言はず其處を去らずに私を見下して居る。何故《なぜ》とはなく暫しはそのままで兩人は向き合つて立つてゐた。私の胸は澄んだやうでも早や何處やらに大きな蜿※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]《うねり》がうち始めて居る。
 やがてして私は驚いた。千代の背後にお米が靜かに歩み寄つて物をも言はずに一寸の間立つてゐて、そうして、
「何してるのけえ?」
 と千代に云つた。
「マア!」
 としたゝかに千代は打驚かされて、
「何しなるんだらう!」
 と、腹立たしげに叱つた。お米は笑ひもせず返事もせぬ。斯くて千代もお米も私も打ち連れて家に入つた。そして臺所の灯をば
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