其處に寢るお兼に頼んでおいて、私等は床の敷いてある座敷に行つた。
片側には父が端で、次が母、その次が私の床。それと枕を向き合はせて片側には彼等姉妹の床、廣い着布團を下に敷いて兩人一緒に寢るやうにしてある。
父もよく睡入つてゐた。病人の母もこの頃はよく睡れる。一つは涼しくなつた氣候のせゐもあるだらう。それを覺さぬやうに私達は靜かに寢支度をして床に入つた。私の方は男のことで、手輕く寢卷に着換へて直ぐと横になつたが、女だと左樣はゆかぬ。一度次の間に行つて、寢衣の用意もないので襦袢一つになつたまゝ、そゝくさと多く私に見られぬやうにと力めながら、何か低聲で云ひ合ひつゝ床に入つた。私とは少し斜向《はすか》ひになつて居るので、眼を開けると水々しい結ひ立ての銀杏返《いてふがへ》しに赤い手柄をかけたのが二つ相寄つて枕の上に並んだのが灯のなかに見えて居る。髮のほつれや肩のあたりの肉の丸み、千代は此方側に寢て居るのだ。
それを見て居るとまた種々のことが思ひ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]らされて、胸は痛むまでに亂れて、なか/\に睡られ相にない。千代も左樣らしくあちこち寢返りをして、ふと私と顏を見合はせては淋しく微笑む。噫《ああ》、その優しい美しい淋しい笑顏、見る毎に私の胸は今更らしくせき上げて來るのであつた。千代がそんな風であるからだらう、お米も同じく睡られぬらしく、何かともぢ/\してゐたが終に彼女の發議で枕もとの灯を消すことにした。
灯を消すと一段と私の眼は冴えた。父の鼾母の寢息、相變らず姉妹の身を動かして居る樣子など交々胸に響いて、いつしか頭はしん/\と痛み始めて居る。これではと私の常に行《や》り馴れて居る催眠法をいろ/\と行《や》つて辛くもとろ/\と夢うつゝの裡に睡るとも覺めるともなき状態に陷つて了つた。それがどの位の間續いてゐたであらう。不圖《ふと》、
「伯母さん」
といふ聲が微かに耳に入つた、千代のだ。尚ほ耳を澄ませて居ると、また、
「伯母さん」
と極《きは》めての低聲《こごゑ》。
それから暫く間を置いて、更に一層きゝとれぬ程に低く、
「兄《あん》さん」
といふ。私はどきつとして、故《ことさ》らに息を殺した。それからはもう何とも云はぬ。空耳だつたかなと思つてゐると、今度は確かに身を動かして居る容子が聽ゆる。私は思はず眼を見開いてその方を見遣つたが、油のやうな闇で何にもわからぬ。と、暫《やが》て疊の音がする。此方へ來るのかなと想ふと私は一時にかつと逆上《のぼ》せて吾知らず枕を外して布團を被《かつ》いだ。
程なく千代は私の枕がみに來て、そしてぶる/″\と打慄ふ聲で、
「兄《あん》さん、兄《あん》さん!」
と二聲續けた。そして終《つひ》にその手を私の布團にかけたので、同じく私も滿身に火のやうな戰慄を感じた時、
「千代坊、何|爲《し》てゐるのけえ、お前は!」
とあまり騷ぎもせぬはつきりした聲で、お米が突然云ひかけた。
「アラ!」
と消え入るやうに驚き周章《うろた》へて小さな鋭い聲で叫んだが、直ぐまた調子を變へて、落着かせて、
「何も何も、……灯を點けて……一寸|便所《はばかり》にゆき度いのだから……マツチは何處け。」
と、漸次判然と云ひ來つて、そして更めて起き上つてマツチを探し始めた。お米はもう何も言はぬ。私は依然睡入つた風を裝うてゐたのであつたが、動悸は浪のやうで、冷い汗が全身を浸して居る。やがて千代は便所に行つて來た。そして姉に布團を何とやら云ひ乍ら、又灯を消して枕に着いた。
それから暫くはまた私も睡入られなかつたが、疲勞の極でか、そのうちにおど/\と不覺の境に入つて了つた。
次いで眼を覺されたのが東明時《しののめどき》、頓狂な母の聲に呼び起されて見て、私は殆ど眞青になつた。千代はその時既にその床の中に居なかつた。
書置の何のといふものもなく、逃げたのか、それとも何處ぞで死んでゐるのか、それすら解らぬ。あの娘のことだ、とても死にはせぬ、若し死ぬにしたら人の眼前《めさき》に死屍《しがい》をつきつけてからでなくては死なぬ、どうしても逃げ出したに相違ない、逃げたとすれば某港の方向だ、女の足ではまだ遠くは行かぬ、それ誰々に追懸けて貰へ、と母は既に半狂亂の態である。
然し、私は思つた、一旦逃げ出してみすみす捉へらるゝやうな半間な眞似はあの娘に限つて爲《す》る氣遣はない、とうとうあの娘は逃げ出した、身にふりかゝつた苦痛を脱して、朝夕憧れ拔いて居る功名心を滿足せしむべく、あの孱弱《かよわ》い少女の一身を賭《と》して澎湃たる世の濁流中に漕ぎ出したと。
何よりも早くあの父親に告げ知らせねば、と母は此方にも氣を揉んで、早速若い男を使した。半病人の彼女の老父は殆んど狂人のやうになつて、その片意地に凝り固つた兩眼に憤怒の
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