、且つ人間くさくしたものに呼子鳥といふのが居る。初め筒鳥の子鳥が啼いてゐるのかと思つたが、よく聞けば全く異つてゐる。山鳩にも似、また梟にも近いが、そのいづれとも違つた、矢張り呼子鳥としての言ひ難い寂びを帶びた聲である。
數へれば際《きり》がない。晴れた朝など、これらの鳥が殆んど一齊に其處此處の溪から峰にかけて啼き立つる。茫然と佇んで耳を澄ます私は、私の身體全體の痛み出す樣な感覺に襲はるる事が再々あつた。
或日の夕方、もう暗くなりかけた頃、ぼんやり疲れて散歩から歸つて來ると、思ひもかけぬ本堂の縁の下から這ひ出して來る男がゐた。喫驚して見ると、寺男の爺さんである。何をするのだと訊くと、にや/\笑つてゐて答へなかつたが、やがてどうも狐や狸の惡戲《いたづら》がひどいので毎晩斯うして御飯を上げて置くのだといふ。どんな惡戲だと訊くと、晝間でも時々本堂の方で寺の割れる樣な音をさせたり、夜になると軒先に大入道になつて立つてゐたり、便所の入口をわからなくしたり、暗くなつて歸つて來る眼の前に急に大きな瀧を出來したりする、が、ああしてお供へをする樣になつてからそんな事はなくなつたと言ふ。では僕たちはお
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