樹木とその葉
自然の息自然の聲
若山牧水
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)橡《とち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)不圖《ふと》[#「不圖《ふと》」は底本では「不《ふ》圖」]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)から/\に
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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私はよく山歩きをする。
それも秋から冬に移るころの、ちやうど紅葉が過ぎて漸くあたりがあらはにならうとする落葉のころの山が好きだ。草鞋ばきの足もとからは、橡《とち》は橡、山毛欅《ぶな》は山毛欅、それ/″\の木の匂を放つてゞも居る樣な眞新しい落葉のから/\に乾いたのを踏んで通るのが好きだ。黄いな色も鮮かに散り積つた中から岩の鋭い頭が見え、其處には苔が眞白に乾いてゐる。時々大きな木の根から長い尾を曳いて山鳥がまひ立つ。その姿がいつまでも見えて居る樣にあらはに明るい落葉の山。
それも餘り低い山では面白くない。海拔の尺數も少ない山といふうちにも暖國の山では落葉の色がきたない。永い間枝にしがみついてゐて、そしていよ/\落つる時になるともううす黝《ぐろ》く破れかぢかんでゐる。一霜で染まり、二霜三霜ではら/\と散つてしまふといふのはどうしても寒國の高山の木の葉である。從つて附近での高山の多い甲州信州上州といふ風のところへ私はよく出かけてゆく。今年もツイこの間そのあたりを歩いて來た。
昨年の十月の末であつた、利根の上流の片品川の水源林をなす深い山に入り、山中にある沼で鱒《ます》を飼つてゐる番人の小屋に一晩泊めて貰ひ、翌日そこの老人を案内に頼んで金精峠《こんせいたうげ》といふを越えた。その山の尾根は上州と野州との國境をなすところで、頂上の路ばたには群馬縣栃木縣の境界石が立つてゐた。それも半は落葉に埋つてゐた。越えて來た方は峽《かひ》から峽、峰から峰にかけて眼の及ぶ限り、一面の黒木の森であつた。栂《とが》や樅《もみ》などの針葉樹林であつた。そして、これから下りて行かうとする眼下には、遠い麓の湯元湖の水がうす白く光つて見えた。その湖の縁には今夜泊らうとする湯元温泉がある筈であるのだ。
正午近い日がほがらかに照つてゐた。尾根の前もうしろも見下す限り茂り入つた黒木の森だが、僅かに私たちの腰をおろして休んでゐる頂上附近だけそれが斷えて、まばらな雜木林となつてゐた。無論もう一つ葉も枝にはついてゐない枯木の林だ。其處へほつとりと日がさして、風も吹かず、鳥も啼かない。まことに静かだ。
不圖《ふと》私は自分の眼の前にこまかにさし交はしてゐるその冬枯の木の枝のさきに妙なものゝ附いてゐるのを見つけた。初めは何かの花の蕾かとも思つた。丁度小豆粒ほどの大きさで幾重かの萼《がく》見たやうな薄皮で包まれてゐる。然し、いま咲く花もあるまい、さう思ひながら私はその一つを枝から摘み取つて中をほぐして見た。そしてそれが思ひがけないその木の芽であることを知つた。木の芽と云ふが、それが開いて葉となる、あれである。
一つ葉も殘つてはゐないと云ふものゝ、ほんの昨日か一昨日散つてしまつたといふほどのところであつた。さうして散つてしまつたと見ると、もう一日か二日の間に次の年の葉の芽が斯のやうに枝ぢゆうに萌え出て來て居るのである。私はまつたく不思議なものを見出した樣な驚きを覺えた。
これら高山の、寒いところの樹木たちは斯うして惶しい自分等の生活の營みを續けてゐるのである。暫らくもぼんやりしてゐられないのだ。少しの時間をも惜んで、自分を伸ばして行かうとしてゐるのである。霜がおりて葉が染まる、落ちる、程なく雪がやつて來るのである。そしてそれからの永い間を雪の中に埋つてゐるのだ。その間こそ彼等のどうにもならぬ永い/\休息の時である。年を越えて、恐らく五月か六月の頃までさうして靜かにしてゐねばならぬのであらう。サテ雪が解ける。それとばかりに昨年の秋からこらへてゐたその芽生の力をいつせいに解きほぐすのである。さう思ひ始めると私はその靜寂を極めた冬枯の木立の間にまことに眼に見えず耳に聞えぬ大きな力の動いてゐるのを感ぜずにはゐられなかつた。大きな力が、何處ともなしに方向を定めて徐ろに動きつゝあるのを感ぜずにはゐられなかつた。
峠をおりて私は湯元温泉に一泊した。そして翌朝其處を立つて戰場ヶ原の方へ出やうとして不圖《ふと》[#「不圖《ふと》」は底本では「不《ふ》圖」]振返ると、昨日自分等の休んだ峠からやゝ南寄りに聳えて居る尾根つゞきの白根山には昨日のうちに早やしら/″\と雪の來てゐるのを見た。
それは樹木の場合である。さうした山國の山の奧で人間たちの營んで居る生活に就いても同じ樣な感慨を覺えたことがある。それは畑ともつかぬ山畑に
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