めんの草野原である。この野原を見るには足柄《あしがら》連山のうちの乙女峠、または長尾峠からがいゝ。この野の中に御殿場から印野《いんの》、須山《すやま》、佐野《さの》などいふ小さな部落が散在してゐるが、いづれもその間二里三里四里あまりの草の野を越えて通はねばならぬ。
富士のやゝ西に面した裾野はまたいちめんの灌木林である。そしてその北側はみつちり茂つた密林となつてゐる。いはゆる青木が原の樹海がそれである。
八ヶ岳の甲州路の廣大な裾野を念場が原といふ。方八里といはれてゐるこの原を越えてゆくと信州路に入る。そして其處に展開せられた高原を野邊山が原といふ。
野邊山が原から御牧が原を横切つてゆくと淺間の裾野に出る。追分、沓掛《くつかけ》、輕井澤あたりの南に面したあたりもいゝが本統に高原らしい荒涼さを持つてゐるのはその裏山にあたる上州路の六里が原である。これはまた打ち渡した芒《すすき》の原で、二抱へ三抱への楢《なら》の木がところ/″\に立枯になつてゐる。富士の大野原は明るくやはらかく、この六里が原は見るからに手ざはり荒く近づき難い。
阿蘇山の太古の噴火口の跡だつたといふ平原は今は一郡か二郡かに亙つた一大沃野となつてゐる。この中央の一都會宮地町から豐後路へ出やうとして眞直ぐの坦道を行き行くとやがて思ひもかけぬ懸崖の根に行き當る。即ちこれが昔の噴火口の壁の一部であつたのださうだ。私の通つた時には、その崖には俥《くるま》すら登る事が出來なかつた。九十九折《つづらをり》の急坂を登つて行くと、路に山茶花の花が散つてゐた。息を切らしながら見上ぐると其處に一抱へもありさうなその古木が、今をさかりと淡紅の花をつけてゐたのである。私はいまだにこの山茶花の花を忘れない。そしてその崖を登り切ると其處にはまた眼も及ばない平野がかすかな傾斜を帶びて南面して押し下つてゐたのである。私はこの崖――たしか坂梨と云つたとおもふ――を這ひ登る時に、生れて初めての人間のなつかしさ自然の偉大さを感じたのを覺えてゐる。まだ十七八歳の頃であつた。
芒が刈られ楢《なら》が伐られて次第に武藏野の面影は失せて行くとはいへ、まだ/\彼の野の持つ獨特の微妙さ面白さは深いものである。彼の野をおもふと、土にまみれた若い男女をおもひ、また榾火《ほたび》の灰をうちかぶつた爺をおもひ婆をおもふ。かとおもふと其處にはハイカラなネクタイも目に見え、思ひ切り踵の高い靴のひゞきも聞えて來る。芒がなびき、楢の葉が冬枯れて風に鳴る。
これらの野原がすべて火山に縁のあるのも私には面白い。武藏野はもと/\富士山の灰から出來たのであるさうな。
人は彼の樹木の地に生えてゐる靜けさをよく知つてゐるであらうか。ことに時間を知らず年代を超越した樣な大きな古木の立つてゐる姿の靜けさを。
獨り靜かに立つてゐる姿もいゝ。次から次と押し竝んで茂つてゐる森林の靜けさ美しさも私を醉はすものである。
自然界のもろ/\の姿をおもふ時、私はおほく常に靜けさを感ずる。なつかしい靜寂《せいじやく》を覺ゆる。中で最も親しみ深いそれを感ずるのは樹木を見る時である。また、森林を見、且つおもふ時である。
樹木の持つ靜けさには何やら明るいところがある。柔かさがある。あたゝかさがある。
森となるとやゝ其處に冷たい影を落して來る。そして一層その靜けさが深んで來る。森の中でのみは私は本統に遠慮なく心ゆくばかりに自分の兩眼を見開き、且つ瞑づる事が出來る樣である。山岳を仰ぐ時、溪谷を瞰下《みおろ》す時に同じくそれを覺えないではないけれども。
森をおもふと、かすかに/\、もろ/\の鳥の聲が私の耳にひゞいて來る。
自分の好むところに執して私はおほく山のことをのみ言うて來た。
海も嫌ひではない。あの青やかな、大きな海。うねり浪だち、飛沫がとぶ。大洋、入江、海峽、島、岬、そして其處此處の古い港から新しい港。
然し、いまそれに就いて書き始めるといかにも附けたりの樣に聞える虞《おそれ》がある。
庭さきに立つ一本の樹に向つてゐても、春、夏、秋、冬の移り變りの如何ばかり微妙であるかは知り得べき筈である。
況《ま》してや其處に田があり畑があり、野あり大海がある。頭の上には常に大きな空がある。
それでゐて人はおほく自然界に於けるこの四季の移り變りのこまかな心持や感覺やを知らずに過して居る樣である。僅かに暑い寒いで、着物のうつりかへで寧ろ概念的に知り得るのみの樣である。
何といふ不幸なことであらう。
一寸にも足らぬ一本の草が芽を出し、伸び、咲き、稔《みの》り、枯れ、やがて朽ちて地上から影を消す。そしてまた暖い春が來ると其處に青やかな生命の芽を見する。いつの間にか一本は二本になり三本になつてゐる。
砂糖の壜に何やら黒いものが動いてゐる。
『オヽ、も
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