れてあつた。通された二階は全部雨戸が閉ざされて俄に引きあけた一室には明るく射し込んだ夕日と共に落ち溜つた塵埃《ぢんあい》の香がまざ/\と匂ひ立つた。湯ばかりは清く澄み湛へてゐたが、その流し場にはほんの一部を除いて處狹く例の松毬が取り入れられてあつた。これを碎いて中のこまかな種子を取れば一升四圓とかの値段で賣れるのださうである。そのために二三人の男が宿屋の庭で默々と働いてゐた。
 部屋に歸つて改めて障子を開くと眩ゆい夕日の輝いてゐる眞正面に近々と燒嶽が聳えてゐた。峯から噴きあぐる煙は折柄の西日を背に負うて、さながら暴風雨の後の雲の樣に打ち亂れて立ち昇つてゐるのであつた。
 その夜は陰暦九月の滿月をその山上の一軒家で心ゆくばかりに仰ぎ眺めた。そして、月を見つ酒を酌みつしながら、私は白骨から連れて來た老爺を口説《くど》き落して案内させ、終《つひ》にその翌日一時諦めてゐた燒嶽登山を遂行することになつたのであつた。
 山の頂上に着いたのは既に正午に近かつた。晴れに晴れ、澄みに澄んだ秋空のもと、濛々と立ち昇る白煙を草鞋の下に踏んだ時の心持をば今でもうら悲しいまでにはつきりと思ひ出す。この火山は阿蘇
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