上、私は出懸けました。そして[#「そして」は底本では「そし」]指定せられた二三箇所を見て※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた末、矢張りその友人の居村である古宇村といふにきめたのでした。
其處は半農半漁の、戸數五十戸ほどの村でした。半農と云つてもそれは殆んど蜜柑の栽培が重でそのほかに椎茸木炭などを作り出すと云つた風の山爲事なのです。その村の少し手前の江の浦|重寺《しげでら》三津《みと》などの漁村には所謂《いはゆる》避暑地としての善惡それ/″\の發展が見えてゐましたが、その古宇村にはまだ全然それらの影響がありませんでした。友人に案内せられて行つた宿屋は村内唯一の宿屋で、寧ろ漁師と百姓とを主業としてゐる風に見えました。
旅客用の部屋は母屋《おもや》と鍵形《かぎがた》になつた離室《はなれ》の方で、二階二間、階下二間、すべて六疊づつの部屋なのです。二階は東北、及び僅かに西がかつた方角とが開けてゐて、ツイ眞下に、それこそ欄干から飛び込めさうな眞下に海がありました。そして海の向うには靜浦牛臥沼津の千本濱がずらりと見渡されて、その千本濱の少し左寄りの上の空に富士が圖拔けて高く聳えて居るの
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