つせと登つてゐるうちに不圖《ふと》うしろを振返つて端なく自分の背後の空に、それこそ中天に浮ぶと云つた形でづばぬけて高く大きく聳えてゐる富士山を見出して、非常に驚いたのであつた。
 ツイ眼下には狩野川の流域である伊豆田方郡の平野があつた。それを取り圍む形でやゝ遠く左寄りに眞城《さなぎ》、達磨《だるま》[#「達磨」は底本では「達摩」]の山脈があり、近く右手に箱根連山があり、その中にも城山、寢釋迦山、鳶の巣山、徳倉山《とくらやま》等の低きが相交はり、ずつと遠くには駿河信濃國境に連亙した赤石山脈が眞白に雪を被つてつらなつてゐた。そして殆んど正面にこれも常よりは高く見ゆる愛鷹山が立ち、それの裾野の流れ落ちた所には駿河灣が輝いてゐた。それらの山や海を前景として、まつたく思ひがけない高い空に白々としてうち聳えてゐたのであつた。
 三保あたりからは前景がうるさくていやだと前に言つたが、この位ゐの大きな前景となると少しも惡くなかつた。前景の大きさが、いよいよ富士の大きさを増した樣にも見えた。これもその時詠んだ數首の歌を引いて當時の自分の驚嘆を現はさうと思ふ。
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わが登る天城の山のう
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