野は全體にかすかな傾斜を帶びて富士を背後におほらかに南面して押しくだつて來てゐるのである。その間に動く氣宇の爽大さはいよ/\背後の富士をしてその高さを擅ならしめてゐるのである。
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 幼い形容詞が多くお羞しい文章であるが、初めて乙女峠から富士を見た時は私はまつたくこの通りに感じたものであつた。此處の富士も田子の浦と同じく、その裾野を置くほかは何等の前景を持たぬ富士それ自身の眺めである。しかも山全體を一眸《いちぼう》の裡《うち》に收め得ること亦た同じい。たゞ一方は海岸であり、一方は山上であるの相違だ。

 乙女峠から眺めて十里四方にも及ぶであらうと言つた曠野は大野原と呼ばれてゐる。その大野原の奧、富士の根がたまで秋に一度初夏に一度私は出懸けて行つたことがある。その時々に詠んだ歌を此處に引いて其處から見た富士の説明に代へよう。
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富士が嶺や麓に來りあふぐ時いよよ親しき山にぞありける
富士が嶺の裾野の原のまひろきは言《こと》に出しかねつただに行き行く
富士が嶺に雲は寄れどもあなかしこ見てあるほどに薄らぎてゆく
日をひと日富士をまともに仰ぎ來てこよひ
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