つて居るものであるが、中に眼ぼしい人の書いたものが入つてゐはせぬか、どうか見て呉れと云つてよこした。これが粟田淺吉といふ名を知つた初めであつた。
 短册帖には三十枚も貼つてあつたが、私などの知つてゐる名はその中にはなかつた。斯ういふことに詳しい友だちにも持つて行つて見て貰つたが、當時の公卿か何かだらうが、名の殘つてゐる人はゐないといふことであつたのでその旨を返事し、なほ自分自身のものを一二枚添へてやつたのであつた。それらのことを、昨日千本濱で京都附近の話の出た時に、その若い坊さんにしたのであつた。其處へこの短册と扇子とが送つて來たのだ。爺さん、まだ頑丈であの山の上の一軒家に寢起きしてゐるのであるかとおもふと、いかにもなつかしい思ひが胸に上つて來た。すると、あの寺男の爺さんはどうしてゐるであらう。
 さういふことを考へてゐると、若い坊さんは急に改めて兩手をついた。そして、昨日からのお話で、今度の自分の行爲が餘りに無理であることが解つた、自分の一生の志願を全然やめ樣とは思はぬが、とにかく今の學校だけは卒業して年寄つた父をも安心させます、では早速ですがこれから直ぐお暇します、といふ。さうする
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